神戸新聞 平成13年12月29日社説
震災ワッペン/記憶の風化/被災していない者の責任

 阪神・淡路大震災からまもなく丸七年。神戸では今年、元気になった街をアピールする連続イベントが繰り広げられた。今や「復興」という言葉を聞いて、兵庫県南部地域ではなく、アフガニスタンを連想する人の方が多いかもしれない。
 今も無力感や罪悪感、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ人がいる一方で、「もう区切りをつけたい」と願う人もいる。でも確実に「記憶の風化」は進んでいる。
 精神科医の中井久夫さんは、本紙への寄稿のなかで「災厄の記憶は風化でなく浄化されるべきもの」と説いた。被災した人にとっては、重たい体験と、移り変わる現実との折り合いをつけることが必要だ。
 しかし、その速度や時機は、人それぞれであることを忘れてはならない。自分が立ち直っていないのに、周囲がもう忘れたかのように振る舞うことが、被災者を精神的に追いつめ、孤立させることになる。
 「阪神大震災を記録しつづける会」は、体験手記を募集し、十年十巻を目指して発行している。初年度は二百四十編集まった手記が、昨年度は三十六編になった。
 書くという作業を通じて、つらい体験を客観的に眺めて折り合いをつける。同会の高森一徳代表は、手記の数が減るのは健全な姿ととらえている。とはいえ、忘れ去ってはいけない。重い経験をした人には「客観化」が、そうでない人には我がこととして考える「主観化」が求められている。
 孤立や自己喪失につながる風化を防ぐには、個別の体験や教訓を社会化し、多くの人に主体的に考えてもらえるように編集することだ。
 ところが、震災や復興の問題を取り上げる研究者は、めっきり減ってしまった。記録の保存についても、個人はもちろん、公的機関や学校、事業所といった組織でさえ、当時を知る人がいなくなると散逸してしまいがちだ。
 地元の大学や研究機関には、息の長い継続調査と同時に、まちづくりや法制度改革など、新たな視点の提示に取り組んでもらいたい。仮設住宅などa分かりやすいb題材は消えたものの、高齢化やコミュニティー崩壊といった、日本が抱える諸問題を先取りしたこの地で、研究すべき課題はまだまだある。素材を掘り起こし、普遍化する努力が必要だ。
 被災していない者にこそ、風化を食い止める責任がある。新しく生まれた命、新しくこの地に住み着いた人たちも、その一翼を担ってもらいたい。