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阪神大震災でのボランティア活動  David Tharp (医師・精神療法士)
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 ボランティアでマザーテレサのところに行き、カルカッタから戻った次の日に阪神大震災のニュースを見た。

 日本に戻る前の晩に、彼女に
「Davidがカルカッタに来てくれるのは嬉しいけど、あなたの中のあらゆるところにカルカッタがあるということを忘れないで」
と言われていた。 
直感で私は、自分を必要としている「カルカッタ」は神戸にあると感じ、まだ解いていない荷物の中から必要なものだけを取り出して、リュック1つで神戸に向かった。 

 交通機関は遮断されていたので、ひとまず新幹線で大阪に向かい
「今私は神戸に向かっているが、一体何をすればいいのか?」
と考えた。 
「医者として、精神療法士として、できることはあるのだろうか・・?」

 1月18日、そこへ行けば何かできると思い、ひとまず神戸市役所へ行った。 
私が着いたとき、すでにそこは避難所になっていて、どの階もすごい人だった。
近くにいた人に「ボランティアをしたい」と伝えたら
「とりあえず、国際部に行ってみてください」
と言われて行ったが、当初彼らは私をどう使えばいいか考えあぐねていた。

 結局私はそこを拠点にして、被害が特にひどかった長田周辺に残っていた病院やクリニックに行くことになった。
医者として応急処置や内科医として力になれる範囲でボランティアをしていたが、その中で、私の精神科医としてのこれまでの経験で
「医者や看護婦達のPTSDが、これからでてくるだろう」
と、予測できた。

 震災以降、睡眠もほとんどとらず、家族の安否も確認できないまま、働き詰めのスタッフ達がたくさんいた。
スタッフの中には、家族が家の下敷きになってなくなっていた人もいた。

 見落とされがちだが、天災や人災の規模が大きいと、医者や看護婦でもかなりショックが大きくPTSDに陥ることがある。 
私が見ていた中でも、明らかにそれと分かる症状(震え、パニック、精神不安)で、苦しむ人たちがいた。 
意外と医者でもPTSDを認識していない人が多く、まず彼らにそれに気づいてもらい
「決して頭がおかしくなったのではなく、ショックが大きくなったら誰もがそうなるものなのだ」
と話し、安心させた。
 さらに、医者、看護婦だけでなく一般の人達にもPTSDの存在を知ってもらい、理解を深めることが必要だと強く感じ、彼らの協力を得てトレーニングやカウンセリング、ワークショップを開いた。 

 いくつかの病院は、場所を提供してくれた。 
患者は次々押し寄せ、医者の数と治療は追いつかない状況で厳しかったが、家族の安否が確認できないスタッフにすぐに確認するよう休みをあげることを院長に提案し、実行してもらったりもした。

 数日後、アメリカとイギリスから医療物資や医療技術を持ってボランティアがやってきた。  
その間私はずっと市庁舎で寝泊りしていたので国際部とのつながりもでき、海外から来たボランティアグループと一緒に、私も通訳兼医者として避難所、学校を回って治療活動・メンタルケア活動をした。 

 アメリカから来たボランティア12人くらいの中には、ショックでおかしくなった看護婦の姿も見られた。 
2週間ほどして、彼らは持ってきた包帯や薬、その他の治療器具(メス、注射器、ハサミ・・etc)を私に託し帰って行った。 
 駅前にずっと置きっぱなしだった自転車を(誰の物でもないと勝手に判断し・・笑)拝借してそこに荷物をくくりつけ、この援助物資を分配しながら病院を回った。自転車には前と後ろにカゴがついていて、身一つで来た私には、とてもありがたかった。

 神戸YWCAなどの協力も得て、心理学的なアプローチで一般の人や症状に合わせた治療やトレーニング、セミナーもした。 
その頃には、外からのボランティアだけでなく、神戸の中からボランティアに参加する人も目立ってきた。

街に電気はまだ完全に通っておらず、1ヶ月ほど市庁舎から通う生活が続いたが、シャワーも温かい食べ物もなく、お茶とおにぎりの生活で私は激しく体調を壊した。
体力の限界に達し、熱が出て倒れた時
「このままでは危ない」と感じ、
最後の力を振り絞って何とか大阪まで歩き、東京にひとまず戻った。 
どうやって帰ってきたかは、ハッキリと覚えていない。

 東京に戻って回復するまで、2週間くらいかかった。 
回復後、まず赤十字やその他の医療機関で力を貸してくれそうなところに協力を求め
「今神戸で何が、必要か」

「これから深刻な問題になるであろうPTSD」
について医者、精神療法士の目から見てきた事実を伝えた。

 そして、被災地、避難所に、メンタルプロブレムにも対応できるボランティアを派遣することを要請し、取り計ってもらった。 
神戸で出会ったオーストラリア人のボランティアの臨床心理学士グレン氏と赤十字で共に仕事をし、東京に戻ってからはジャーナリストとして仕事をしながら神戸に通う形で1年くらい往復した。

 食べるものに困っていた時に、自分のお弁当を私に半分分けてくれた人がいたのは特に印象的だった。 
ジャーナリストとしても働いていたので、日本の社会とは深くかかわりを持ってはいたが、人種や国籍を超えて初めて本当に日本人と心を通わせたような気がした。 
今まで日本に受けていた恩を少し返せたのかな?とも思った。

 時間の経過とともに物質的にも生活が落ち着くにつれて、神戸の人々にも変化を感じた。
最初はボランティアに対して本当に喜んでくれたが、回復するに従って、震災直後の辛い体験を思い起こさせるのか、それを恥ずかしい体験と思っているのか、関わっていた私に会いたがらなくなった。
もしくは、前のようにフレンドリーに接することがなくなった人もいた。

 関東大震災からしばらく時間が空き、災害に対応するマニュアル、プログラムはなかったので、何人かで集まって対応マニュアルやネットワークを作った。
 私の経験でベトナム戦争などの人災、不可抗力な天災の後に起こるPTSDを幾度となく見てきたので、海部総理に会いに行き、彼の秘書に
「特に、一人になったお年寄りや子供たちに対し、適切かつ充分な処置と精神治療を与えないと大変なことになる」
と訴えた。
 1996年に仕事の関係でロンドンに戻るまで、私はその活動を続けた。