芦屋市 Aさん 

女性  (年令50代)

1995年1月17日はいつ目が覚めましたか

寝ていたが、激しい横揺れで目が覚めた。夫は最初の縦揺れを感じていたが、私はベッドがクッションになっていたせいか感じなかった。

揺れてどうしましたか

とっさに部屋内の家具の配置を思い浮べ、そのままベッドにいるのが安全と判断した。しかし、頭の上に吊っていたエアコンが落ちてくると危険と思い、上半身のみを起こして揺れが納まるのを待った。エアコンは落ちなかった。
同じように体を起こした夫の後に、ガラスの飾り棚が落ちて割れたが、間一髪怪我はなかった。
揺れてどうなりましたか 
西向きの家具はすべて倒れた。
本棚は倒れないよう針金で止めていたが、無駄だった。

どうしましたか

玄関、窓など開かなかったが、こじ開けて外に出ると、ガスの匂いがたちこめていたため、近所中で火を使わないよう話し合った。また断水すると思い、すぐに水を貯めた。近くに住む親にも、水をためるよう電話した。ビニール袋にも飲み水として水を入れた。
埋立地のため液状化現象が起こり、家が少し傾いたが、とくに支障はないのでそのまま我慢している。
情報が無かったので、家がつぶれて沢山の人が生き埋めになっていることなど全然知らなかった。知っていたら助けに行っていたのに、と残念に思っている。

当日困ったこと

食物には困らなかった。
体は水で洗ったりして、長い間お風呂を我慢したが、極寒の時期ゆえ、風邪を引きそうだった。
7、その後どんなことに注意していますか (例 非常袋を持ち歩いている)
洋服ダンスや2〜3段重ね式のタンスが非常に危険だったので処分した。
風呂の水を抜かず、また飲料水も常時ストックしている。
寝る場所に家具を置かないようにしている。 非常袋その他は用意していない。体さえ無事なら良いと考えている。 子供部屋がひどく壊れたので、子供が家にいなくて良かったと思っている。懐中電灯を各ベッドにさげる。

建物の種類 木造2階一戸建   築後14年
補修費用200万円(傾きはそのまま)


芦屋市 Bさん 

女性  (年令50代)

1995年1月17日 いつ目が覚めましたか

暗くて分からなかったが、揺れが終わってから。(睡眠薬をのんでぐっすり寝 ていたようで、皆にあれを知らないのと言われています)

どんな揺れでしたか

全然わからない。

揺れてどうしましたか

何もしない。

揺れてどうなりましたか

和ダンスが座椅子をクッションに倒れてきた。仏壇、本棚全て倒れて何もかも ぐしゃぐしゃ。

どうしましたか

和ダンスと壁の3角形の空間に寝ていた。

当日困ったこと

娘がお産して退院2日目だったので、哺乳ビンから困った。

その後どんなことに注意していますか

貸し金庫に入れた以外の物は持ち歩いている。

建物の種類 鉄筋マンション 築後 26年 1/100の傾斜で建替え
新築再建1500〜2000万円

Bさん追加

 和ダンスが座椅子をクッションに・・・、という意味が分からなかったので 、座椅子の写真を撮るのも兼ねて、仮設を訪ねました。座椅子は地震の前の年に 亡くなられたご主人がしばらく使われた思い出の品で、座椅子が彼女を助けた、 という解釈でした。そんなことで、座椅子は仮設に運ばれたわずかな家具の一つ で、他には食器棚になっている本箱、そして机があるだけでした。Bさんの荷物 は、家が再建されるまで、富山県の業者の倉庫に預けてあるそうで、不便な日常 が推し量れます。
 Bさんが入居している仮設は2人一戸の建物で、部屋はそれぞれ6畳の一間 、それに6畳ほどの共用のキッチンとユニットバスがあります。
 共同生活をしているはずの女性とは、まだ会っていないということで、使わ なくても、共同で負担しなければいけない水道、プロパンガスの基本料金は、こ れまでBさんが支払っている様子でした。勿論相手の人もそのことを気にして、 置き手紙をされているそうです。
 Bさんも、娘さん、息子さんのそれぞれの家に、ひんぱんに招かれる暮らし で、仮設の電話でBさんをつかまえることは困難でした。ここまでは垣間見た仮 設の報告です。
 さて問題の「座椅子がクッションになって私は助かった」、という意味と座 椅子の位置について尋ねました。私は座椅子をBさんが寝ていた近くに寄せて写 し取っていました。Yさはその座椅子の位置を「もっと部屋の真中」と言いなが ら、和ダンスの近くに寄せました。そして「上の段が下に落ち、トントントンと 飛んで、私の上にかぶさったの」と、布団に乗ったタンスの位置を書き込まれま した。タンスの上段は布団とも、壁とも平行になり、壁とタンスの上段がつくる 三角形の空間にBさんが入り込むのはちょっと無理に思えました。
 「目が覚めて布団とタンスの三角の空間から出るのに苦労したのよ。皆には 、「寒かったので、私はタンスを被って寝ていた」って、言っているの」と、い つもの冗談が出ました。私は「ひょっとしたら直接、そこへ飛んだのかも知れな いよ?」と言ってみました。彼女は「そうかもしれない」と同意した後、そんな 事があるのだろうかと、思いが混乱している表情を見せました。
 椅子は前夜、娘さんが赤ちゃんにお乳をあげるために、4畳半の部屋からわ ざわざ持ち出した、とも聞いていたので、ご主人が助けてくれた、という解釈は 全てにつながれているのです。
 何もかもグシャグシャ、という家具の倒れ方を聞きながら、私は矢印の訂正 を続けました。「冷蔵庫は大丈夫だった?」「いえ、冷蔵庫はお辞儀をしていた わ」と言われ、食卓に倒れかかっていたことが分かりました。彼女は「ソファー だけはそのままで、あとはグシャグシャ」と言いながら、テレビ、食器棚の位置 を書き込んでくれました。
 「主人がプラモデルが好きだったのでね、この押入には、プラモデルが一杯 入っていたの。長男が「プラモデルがザーッと落ちてきた」って言うのよ」と、 Bさんは寝ていた隣の6畳の部屋の押入を指されました。「えっ、ここの部屋に 娘さんたちは寝ていらしたの?」、私は絶句しそうになりました。洋服ダンスが 2つも並んでいる部屋でした。「この洋服ダンスは倒れなかったのよ」と言われ 、私は矢印を消しながら、偶然に感謝し、万歳を叫びたい気持ちになりました。
 娘さん親子は4畳半の、多分家具を置いていない、部屋に寝ておられたのだ ろうと、私は勝手に思っていました。もし、隣の6畳であれば、洋服ダンスが2 つも並んでいるので、とてもこのような、クッション中心の記録にはならないと 考えたからでした。
 「良かったね」と言いながら、「そんな小さいお孫さん(長男というお孫さ んは、その前に見せてもらった写真で3、4才くらい)がもう目を覚まして、落 ちるところを見ておられたのね」と驚くと、「そうなのよ」とBさん。そして、 話を続けられました。
 娘さんは目を覚ますと思わずお腹を押え、(赤ちゃんは生んだのだ)と気づ き、辺りに飛び散っている文庫本をかきわけて、赤ちゃんを探し出し、しっかり と抱き上げられたのだそうです。「文庫本だったからよかったの、それでもしば らく、赤ちゃんの泣き声がおかしいと娘が言うので、「泣き声はそんなものよ」 と私は言ったの」とBさん。ことばを失っている私に「10ヵ月で歩き始めたし 、話も出来ているから」と安心させてくれました。母と娘が心を痛めた長い日々 が思われました。「赤ちゃんのこのことも書いていい?」と承諾を求めると、「 いいよ」と言ってもらえました。
 Bさんの続きの西棟から火が出て、鉄筋住宅が2日間燃え続けたそうです。 マンションの外で、Bさんたちを呼ぶ声が聞こえていたけれど、火事とは理解で きなくて、寒い外より家の中が安全と考え、布団を敷き直していると、扉をたた かれて、外に避難させられたそうです。
駐車場になっていた西棟の1階がくずれ、2人が亡くなったが、遺体の収容は マンションの解体が始まるまで出来なかったと、話されました。
 惨事の中を駆けつけた娘さんのご主人は辺りの凄まじい状況から、赤ちゃん のことはあきらめておられたそうです。先に着かれたBさんのご長男(娘さんの お兄さん)と揃ってマンションを離れたと知らされて、安堵されたのは言うまで もないことでしょう。
 「私ね、耳鳴りがしばらく続き、病院通いをしたの。お医者さんに「地震の 時に寝てましたね」と言われたわ」、くすくす笑いながらのBさんの話には、即 座に答えられない意味が隠れていて戸惑いました。
 かけたことのない金庫の鍵が地震でかかり、暗証番号を書いた紙を探し出す のが大変だった、とジョークは尽きなかった。しかし、金庫を準備し、「最後に 食べなさい」と遺言されたという住む家が消えて1年、Bさんの軌道修正のハー ドルはあまりにも高く思われました。



芦屋市 Cさん

女性  (年令50代)

1995年1月17日はいつ目が覚めましたか

遠くへ出掛ける予定だったので、起きて、服を着替えようとしていた。

どんな揺れでしたか

地鳴りが聞こえたので、あれ地震だと思っていると、ガタガタといったので飛 んでベッドに戻り、布団をかぶった。

揺れてどうしましたか 

布団をかぶり、ベッドに座っていたけれど、すごい揺れで、振り落とされそう だったので、ベッドの両端を両手で必死につかんでいた。ガタガタといった時電 気が消えたが、部屋のなかの様子が見えたので、暗くはなかった。むしろ、ちょ っと明るい感じだった。

揺れてどうなりましたか

本棚や本がどんどん落ちてきて頭の上がだんだん重くなった。
揺れがおさまって布団を取ると、全ての物が倒れていた。板の間のキャスター 付テレビ台に載せていたテレビは移動したが倒れなかった。南向きに置いていた 引き戸の食器棚は後の板が破れ、食器は後に落ちた。

その後どうしましたか 

まず眼鏡を探そうとしたが見つかるわけがないことがわかり、着替えようとし ていたズボンを頭に載せて階段を降りた。階段は落ちてきたもので埋まっていた ので、その上を滑った。家を出るまでにガラスで怪我をしていたが、6日過ぎる 頃まで分からなかった。玄関を開けようとしたが、門が玄関の方へ倒れ、扉を押 していたのでそこから出ることは出来なかった。公道までの私道は壁が2、30 メートルにわたって倒れ、自動車の上を覆っているので、公道まで出るのが大変 だった。JRの上を流れている芦屋川が壊れ、JRの線路上へ落ち、車道も片側 は落ちて無くなり、もう一方は落ちかけていた。JRを越えて2号線の方へ行く のが大変だった。

当日困ったこと 

その日は何も食べなかったし、もちろん飲み水もなかった。翌日、二人に1個 のおにぎりをもらった。その後しばらく市役所の女性センターに避難していた。 女性センターでスリッパと靴下をもらった。この時まで裸足だったが、気づかな かった。

建物の種類 木造2階建  築後80年 大正5年の建築  全壊 応急補修 費 150万円をかけた。



芦屋市 Dさん 

男性  (年令50代)

1995年1月17日 いつ目が覚めましたか

地震で

どんな揺れでしたか

口ではいえない

揺れてどうしましたか 

家の下じき

どうしましたか

10時間後に助けられた

当日困ったこと 

寒かった

その後どんなことに注意していますか

早く自分の家に帰りたい

−Dさんを訪ねて−

 10時間後に助け出されたというDさんを、Cさんを介して、芦屋浜の仮設 に訪ねました。仮設のふれあいセンターでは7、8人の女性がビデオを使ってク ラブ活動の体操をしていました。
 Dさんは写真を持参して、その時のことをお話し下さいました。
 「ドンとした時家内は地震と思ったようですが、私は地震とは思いませんで した。驚いて半分ほど立ち上がったところで、倒れてきた襖で倒され、気が付く と襖と落ちてきた天井との隙間に横になっていました。襖は確か頭に当たったの ですが、どうなったのか私は襖の上に乗っていました。
 隙間はわずかに移動できたので、とっさに外に出ようとして、出来なかった 家内も寄って来ました。
 2階に寝ていた娘が気になり声をかけたのですが、返事はありませんでした 。娘は布団をかぶって寝ていて、多分気を失っていたようです。
 「お父さん大丈夫?」しばらくして、娘の声がしました。声はよく聞こえま した。そのうちに「暑い」と娘が言うので、なぜかと思っていると「回転ハンガ ーにかかっていたビニールをかぶっているようで、息苦しくなってきた」と言っ ていました。「ビニールを破れないのか?」「手も体も動かせない」「歯でもい いから破れ」そう言いました。そして10分くらいした時、「冷たい風が入って きた」という娘の声で、ほっとしました。爪で破ったそうです。
 隣の家の赤ちゃんの泣き声、助けてくれという反対側の人の声、どれもよく 聞こえました。赤ちゃんのお父さんは子供に歌をうたって上げているようでした 。そのうちに歌声が聞こえなくなったので赤ちゃんは眠ったと思いました。
 懐中電灯を押入に置いたのを思い出したので、手探りで探し出し、明かりを つけてびっくりしました。
 その時このようになっているのは自分の家だけと思いました。外に出られ方 法はないか、と這って隣の部屋に行きました。食堂まで行くとテーブルの脚は折 れ、テーブルの下も空間が無くなっているのが分かりました。私たちが閉じ込め られた空間は、落ちた鴨居の上に天井が乗って、出来ていました。
 上の方で「Dさん大丈夫ですか」と声がするので、返事をしました。
 やがて、右隣、左隣の人が次々に助けだされているのが分かりました。赤ち ゃんとご夫婦も助けだされたので、次は自分たちと待っていました。ところが、 なぜか私たちは置き去りにされました。私たちの声は聞こえていなかったようで す。
 辺りは静かになり、人の声もしなくなりました。「助けて」と必死で叫んで いると、 「むやみに声を出して体力を消耗してはいけない」と娘にたしなめら れました。
 私たちの布団は3畳の間にずれて、引っ張ることも出来ず、寒さが身にしみ ました。妻と二人、手近にあったビニールの袋に足を入れ、寒さに耐えていまし た。
 しかし、女はすごいですね、家内が「どうだろう、一度家を持ち上げてみた ら」と言うのです。
 やってみましたが、びくともしませんでした。
 布団の足元辺りの板をずらすと2階が見えました。1階の天井と2階の天井 との間に20センチほどの空間ができていたので、出口を探しに行ってみました が駄目でした。
 次に家内が体をよじりながらその隙間を這っていくと道を隔てた北隣の家( 最近建ったばかりの家)の奥さんが丁度布団を干しているのが見えたので、「奥 さん助けてー」と叫びました。するとその声が聞こえた奥さんはびっくりされて 、「Dさんちょっと待っててね」と言われ、人を探しに行かれたようで間もなく レンジャー(消防署員)が来てくれました。そして「怪我はありませんか。挟ま れていませんか?」と聞かれたので「、怪我はありませんが、2階の娘を早く助 けだしてください」というと、「ちょっと待っていてください」と言ってまたい なくなり、それからまた1時間くらい待たされました。私たちは怪我をしていな いということが分かり、他の人を助けに、行ったようです。 私たちの上には壁 、2階の床と天井それに屋根がかぶさていてました。娘の上には洋服タンスがか ぶさっていたので、タンスの裏を破って助け出されました。回転ハンガーが隙間 をつくってくれていたようです。
 私たちが助けだされたとき隣の人は涙を流し、泣いて喜んでくれました。私 たちは駄目だったのだろうと思っておられたそうですから。勿論私たちもうれし くて泣きました。
 埋もれていたとき、煙草の煙を出して自分たちのことを知らせよう、と提案 したところ「危ない」と家内に叱られました。しかしやはり発煙筒のようなもの が必要だと思います。あるいは笛でもいいです。
 レンジャーの人も埋まっているのがどの辺りか、なかなか分からないようで した。近くにある何か金属音が出るものをたたいて場所を知らせてくれと言われ るのですが、それが出来なくて困りました。
 非常用品として懐中電灯と同時に笛か発煙筒が必要と思いました。
 この町では今回58人が亡くなられ、隣の赤ちゃんもやはり亡くなりました 」。



芦屋市 Eさん

(年令30代)

1995年1月17日 いつ目が覚めましたか

午前5時45分(地震の直前)

どんな揺れでしたか

初めの約3秒 横揺れがだんだん大きくなる。次に窓の外にせん光、 同時に タテ、横、斜めに激しく揺れる。家全体が上を向いたり下を向いたり。

揺れてどうしましたか

せまいトイレにいたので、両腕を壁に全力で突っ張った。それ以外何も出来な かった。

揺れてどうなりましたか 

タンスは約1m飛び、テレビも飛んだ。壁は落ち、柱が折れたが、つくり付け の食器棚が柱の替わりに支えた。(全壊に近い半壊と判定された)

どうしましたか

数日後、家財道具は家族で元の位置に戻した。親戚にも手伝ってもらった。

当日困ったこと

電話が通じなかった。
生き埋めの人を助けに行ったが、何も出来なかった。
(エンジンカッター、ユンボ(クレーン)があれば)

その後どんなことに注意していますか

特に無い

建物の種類     築後 32年 補修費用 円 半壊 解体撤去した



芦屋市 Fさん 

 (年令50代)

1995年1月17日はいつ目が覚めましたか

AM 5時 46分

どんな揺れでしたか

横揺れと大きく ドーンとタテゆれがあって、又横にゆれを感じた。

揺れてどうしましたか 

頭から布団をかぶった。

揺れてどうなりましたか 

頭の左にテレビの台が右に整理ダンスが倒れてきた。

どうしましたか

自分でよけておきた

当日困ったこと

電話の不通で、連絡できなかったこと

その後どんなことに注意していますか

別になし

建物の種類 一戸建て 築後32年  補修費用 0円 解体してありません




芦屋市 Gさん

(年令80代)

1995年1月17日はいつ目が覚めましたか

午前5時 46分

どんな揺れでしたか

8の字に激しく揺れた<

揺れてどうしましたか

布団をかぶった

揺れてどうなりましたか

ガラス障子がわれた

どうしましたか

ほったらかし

当日困ったこと

停電で電気毛布を使えず寒かった

その後どんなことに注意していますか

特になし

建物の種類     築後 32年   補修費用0円 解体・撤去




芦屋市 Hさん

女性  (年令80代)

1995年1月17日はいつ目が覚めましたか

地震の前に起きていた

どんな揺れでしたか

タテにゆれ、ベッドから逃げたらうしろからTVが飛んできた

揺れてどうしましたか

空襲やと思って、くつとスリッパを片方ずつはいて前の学校に逃げた

揺れてどうなりましたか

人に地震やと聞いて家に帰ったら 家はめちゃくちゃになっていた

どうしましたか

水屋と冷蔵庫が背中に倒れてきたが押しのけてすりぬけて出てきた

当日困ったこと

食べるものに困った

その後どんなことに注意していますか

二日目に病気(肺炎、胃潰瘍)になって80日間、三田病院に入院した だか ら今病気に注意している

建物の種類 木造平屋  築後 37年 全壊 



芦屋市 Iさん

女性  (年令60代)

1995年1月17日はいつ目が覚めましたか

4時ごろ

どんな揺れでしたか

ものすごかった。

揺れてどうしましたか

タンスの下敷きになった。

揺れてどうなりましたか

ヤネの下になった。

どうしましたか

たすけてもらった。

当日困ったこと 

水 また たべ物 布団

その後どんなことに注意していますか

非常袋 電池

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