尼崎市 Aさん

女性  (年令50代)


1995年1月17日は、いつ目が覚めましたか

家族全員地震で目が覚める。
どんな揺れでしたか突き上げられて、横揺れ(南東←→北西)随分長い時間の ように感じました。

どんな揺れでしたか

突き上げられて、横揺れ(南東−北西)ずいぶん長い時間のように感じました 。

揺れてどうしましたか

立ち上がれず、布団をかぶって揺れがおさまるのを待ちました。

揺れてどうなりましたか

台所の食器などが散乱していました。
家族の名前を大声で、呼びました。
ローソクで明かりをつけ(後になって大変危険な事と反省、電池を置いてあっ たところがわかっていたのですが、あわててしまって)、階下へ降りるように言 いました。

当日困ったこと

電話(10分位後 大阪方面に通じました)が西宮、神戸方面不通の為、安否 の確認がとれなかったこと。
その後どんなことに注意していますか 
電池を手元に置く。
玄関に金槌を置く。
貴重品は各自でバッグに入れて、いつでも持ち出せるようにしておく。


建物

木造2階建 築後 27年 (13年前に改装)
応急修理代(大工¥800,000  左官¥100,000 ガレージ他¥200,000)
以上 支払済
外壁塗装門塀他 見積(¥2,000,000 )



尼崎市 Bさん

 女性   (年令60代)

1995年1月17日は、いつ目が覚めましたか

階下で寝ていた私は 地震でベッドから落ち、目覚めました。
2階の夫も地震の揺れで目覚めましたが、たまたま帰省し、夫の隣で寝ていた 息子(三男)は何となく目覚めた直後に激震を感じたとのこと。

どんな揺れでしたか


上下に強く、左右(南北)前後(東西)と揺れの渦の中にいるようでした。
息子は外で怪獣が家をもち上げて揺らしているように感じ、一瞬、殺されるの ではないかと思ったそうです。
夫は家が潰れると思ったそうです。

揺れてどうしましたか


私は気が付くとベッドから放り出され、座り込んでいました。手をのばして布 団をとり、それをかぶって揺れのおさまる迄じっとしていました。
夫も息子に”布団をかぶれ”と言った後、揺れのおさまるのをまったようです 。

揺れてどうなりましたか


本棚の本は全部ベッドの上と周辺に落ち、二段重ねの本箱(食器入れを代用) の上段は倒れ落ち、ガラス戸は割れ、中の本は散乱していました。

その後どうしましたか


自力で立ち上がり、2階の夫を呼び、懐中電灯を探しましたが、散乱していて 見つからず、手探りで隣のダイニングルームに行き、ガスの元栓が締まっている か確認しました。
2階から夫が降りてきて、ライターをつけ、懐中電灯を見つけた時に、息子が 手探りで階下に降りてきました。外に出ようと玄関のドアを開けようとしました が開きませんでした。夫がダイニングルームから塀伝いに玄関にまわってみると 鍵が壊れていたので、外から何とかこじ開け、逃げ道を作りました。
いつでも避難できるように服を着込み、水道の蛇口をひねってみましたが、そ の時にはもう水は出ていませんでした。
外泊していた息子(次男)から電話がかかり、お互いの安全を確認した後、高 松の妹に無事でいることを知らせました。

当日困ったこと


飲み水と非常食の蓄えがほとんどなかったこと。
スーパーにミネラルウォーターと牛乳を買いに行ったが売り切れていた。
近所(尼崎周辺)の正確な情報が判らなかった。
午後、園田支所で飲料水を支給してくれることを知り、息子がもらいに行った 。

その後どんなことに注意していますか


寝室、階段に物を置かない。
不用品の整理を心がける。
ミネラルウォーター、牛乳(LL)と非常食を常備する。
水:防火用水、水洗用を貯めておく。 
懐中電灯と服を枕元において寝る。
貴重品を持ち出せるよう身近なところに置いておく。

(付記)
この地域は、電気は地震当日の午後に、ガスは夕方に復旧、水は翌日の夕方に 出ました。
正月用の餅と菓子が残っていたので疲労回復に役立ちました。
地震後薬品も備えておかなければいけないと思ったけれど、それはまだ。


建物の種類 木造2階建  築後22年
修繕費 応急処置(屋根と外壁) 15万円
屋根瓦葺き替え    100万円
外壁内装等      250万円



尼崎市 Cさん

(電話で) 女性  (年令50代)

1995年1月17日はいつ目が覚めましたか

ぐっすり熟睡していたので、地震は夢のなかの出来事のように感じていました 。それでもこのまま家が揺れてつぶれるのではないかと思ってはいました。

どんな揺れでしたか

がさがさという感じで、足元の本箱とか洋服ダンスか倒れてくると思って、反 射的に体を避けることはしたようです。

揺れてどうしましたか

冬なので大布団をかぶっていました。

揺れてどうなりましたか

ヘッドランプ、ラジオを頭の所に置いているので、すぐラジオをつけてニュー スを聞きました。”神戸方面に地震がありましたが、地震はひどくはないようで す”、という内容だったように思います。それで、ひょっとすると、ここが地震 の震源地だったのでは、と夫と話し合いました。ジェーン台風の時の災害を思い 浮かべておりました。

その後どうしましたか 

明るくなるまで布団をかぶっていました。

当日困ったこと、助かったこと

お風呂の水が使えました。 飲み水は魔法瓶や、ヤカンに入れていました。ま た他に六甲の水が2リットルビンに4本半ありました。給水車も2日ほど後には 、来ていたようで、心配はしませんでした。 (六甲山の水は前にはよく出てい ましたが、最近は出が少ないようです)

その後どんなことに注意していますか

母が寝ていた1階の部屋には家具は何も置いていなかったので、額がぶらぶら していたくらいで、危ないことは無かったのですが、それから後、母は寝巻に着 替えると、着ていた服を風呂敷に包み、枕元に置いておくことを、始めました。
母を真似て夫がそれを始めましたが、私はまだ実行していません。
父親は病弱なので、片付けがすむまで自室に止めていました。それで、地震の 被害を知ることもなく、我が家の被害は軽微だったと、とても安らいだようで、 良かったと思っています。
お金だけを持つことにしています。 色々準備した友達が、余震の時に、その 非常袋を結局持ち出さなかったと、ぼやいていました。


尼崎市 Dさん

女性  (年令50代)

1995年1月17日はいつ目が覚めましたか  

目が覚め、最後の横揺れを2、3度感じた。

どんな揺れでしたか

横揺れだけしか感じなかった。

揺れてどうしましたか

すぐ懐中電灯を付けラジオの電池を探しに行った。ラジオは枕元においていた が、コードを使用していたから。ラジオでは神戸方面で地震ということを伝えて いた。

揺れてどうなりましたか

寝室には何もないし、和室なので何も倒れなかった。 別の部屋で、仏壇は倒 れなかったが、中の仏様が3体出てきた。

当日困ったこと

情報

その後どんなことに注意していますか

しばらく一週間ほどは枕元に履物を置いて寝た。

建物の種類  木造  築後11年    補修費用 300万円


尼崎市 Eさん

女性   (40代)

 その時私は阪神高速尼崎インターを10分ほど前に出て潮江へ向かうスキー 帰りのバスの中にいました。このスキー旅行は主人の会社が行なったもので私た ちは夫婦と長女の3人で参加、私は前から4番目の補助席で、その時うつらうつ らしていました。
 何となくゴーという異様な音を感じた気がして運転手の方を見た時、右後の 方から唐草模様の白い物が前に走ったように思いました。砂や石ころがタイヤの カバーにカラカラと当たった音もして、何かを巻き込んだのか、とも思いました 。
 前方のマンションが高い丘の上に建っているように見えた。マンションの明 かりが一瞬青く見えたと思ったら、ぱっと消えてまたぱっと付きました。前がY 字路でそこに立っていた道路標識も同じ青い色で、同じように消えてまた付いた ように思います。前方の道が縦にうねるのが見えました。しかし、バスは横揺れ で、船のローリングのような揺れ方でした。
 青い稲光が走り、左側に座っていた娘は「ウワ雷」と言って、カーテンを開 けました。これらの現象はどれもほとんど同時だったようで、どうなってどう、 とは言えません。バスの真ん中辺りで「地震だ、地震だ」という声がしていまし た。
 丘の上にマンションの高層住宅が見えた時、また砂や小石がカラカラと当た るのを聞いた時、下の方から何か吹き上げられたようで、一瞬バスが崖っぷちに いるのかと錯覚しました。マンションは決して丘の上にあったのでもないのに、 なぜ丘の上に見えたのか、また目の高さに見えた唐草模様の白い物は何なのか見 当も付きません。
 バスはすぐ道の端に止まり、揺れがおさまるとまた出発して、角を二つほど 回って会社に着きました。激しい揺れだったので、皆はこの辺りが震源地だとさ わいでいました。
 須磨の家に帰ろうとJR尼崎駅近く行った時、電車は無理だと知らされて私 たちはまた会社に帰りました。 会社でテレビを見ていて神戸の方がもっと大変 ということが分かり、明石に行っている次女のことが心配になり、電話をしたの ですが、連絡が取れなかったので、とりあえず、伊丹にある親戚の家まで送って もらいました。
 親戚の家はかろうじで無事で、そこで自動車を借りて家(須磨区)に向かっ たのですが、午後2時頃になっていました。
 道は大変な渋滞で、家に帰り着いたのは翌日でした。
 芦屋辺りまでは明るかったのですが、後はほとんど明かりの無い暗い所を走 っていたので、家の近くまで来た時(須磨区妙法寺辺り)辺りに電気が点いてい てほっとしました。
 途中で明かりを見たのは西市民病院の前くらいで、サーチライトがつき、白 衣の人が出たり入ったりしてのが見えた時くらいでした。 
家に入ると梅酒などの匂いが部屋中にたちこめていました。
 家具は東向きか西向きに置いていたので、倒れているのはありませんでした 。
 食器棚は引き戸なので、中の食器は落ちていなかったが、棚の上に置いてい た物はすべて落ちていました。
 物は飛び散っていたのですが、ちょっと人の手で片付けられた跡が見られた ので、次女が地震の後一度帰っていることが分かり、ほっとしました。

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