まえがき―被災者の心

      阪神大震災を記録しつづける会
          編集総括  小橋 繁好


 ここにひとつのアンケート調査結果がある。
 阪神大震災の被災者で仮設住宅と公的復興住宅に住む人たちへの「公的支援は必要か」の問いに、七五・四パーセントが「必要」と答えている。
目を引いたのは「必要な金額は」との問いに対する答えだ。

 最も多かったのは五百万円以上一千万円未満で一六・二パーセントだが、十万円未満が一〇・六パーセントで、二番目に多い。

 この数字は何を意味しているのだろうか。
十万円という金額は決して少なくないが、私には「金額よりも支援する心」を求めているとしか思えない。

 こうした「被災者の心」を、被災地以外の人たち、政府や国会議員は本当に理解しているのだろうか。

 阪神大震災から三年。まだ残る六甲アイランドの仮設住宅地を歩きながら、「三年という月日は何だろう」と考え込んでしまった。
一九九五年一月十七日を起点とした、被災者の三年の歩みは遅い。
しかし、震災の記憶も薄らいできているのではないか。

 そんな中で、震災の資料を保存する運動が始まっている。

 震災直後、おびただしい数のビラ、ポスター、手書きの地図などが街に氾濫した。
被災地を歩くと、壊れた家の戸板に「家族は無事です。いま、小学校に避難しています」の張り紙が風に揺れていた。
道路わきのガソリンスタンドには「休んでいって下さい」との文字が広告ビラの裏に書かれ、周辺の地図も添えられていた。

 避難所には支援物資の説明、尋ね人などの紙が壁を埋めていた。多くのミニコミ紙も生まれた。

 紙の資料だけではない。
崩れた家屋、更地となった宅地などをフィルムやビデオに収めた人も多い。

 新聞や雑誌に掲載された記事や写真は残るが、被災者がやむにやまれぬ思いで書き、写した「資料」は、その多くがしばらくして捨てられ、大部分がゴミとなって焼却された。

 しかし、こうした「生きた資料」こそ、大事な「歴史」となる。そう思って保存に立ち上がったのも、やはりボランティアの人たちだった。
阪神間を中心とする自治体や図書館も職員の有志がこれに協力、いまでは、ネットワークを組んで組織的に収集、整理、保存に努めている。

 関東大震災では市民の側からみた震災資料があまり残されていない。
警察や自治体の公式な報告書を手掛かりに、当時の被災の模様を知るしかないという。

 阪神大震災を記録しつづける会が、体験記の出版を企画したのは、実はこうした「教訓」からだった。

 第一集『被災した私たちの記録』への掲載者にはすでに歴史になってしまった人もいる。
歴史に押しつぶされた人、押しのけようとしている人、まだ、歴史の中にいる人など様々な人が記録し続けている。

 そうした中で、私たちの記録に新たに加わってくれた人もいる。

 九州の高校生たちは阪神大震災を自分たちの問題と考えて、リポートを寄せてくれた。

 遠く離れた東北の大学生は仮設を訪問する「週末ボランティア」の思いを綴ってくれた。

 また、あの混乱期に大きな問題となりながら、これまで実態がよく分からなかった「トイレ騒動」を生々しく振り返ってくれた人もいる。

 こうした人たちの協力を得ながら、四年目、五年目と記録の歴史を積み重ねていきたい。