新しい風

城戸 美智子(四十四歳 主婦 神戸市北区)


 重い鎖を体中に巻きつけ歩いてきた。そんな日々が、三年目を迎える。

 その日、娘、洋子の上にピアノが倒れた。意識が全然なかった。
大勢の人に助けられながら、やっとたどり着いた三つ目の病院で洋子の呼吸が止まった。
人工呼吸器につながれる。そしてあと十二時間の命と宣告された。

 これからが華の十四歳。
高校受験を控えて希望が胸いっぱい、瞳はキラキラと輝き、私の目の前で夢を語る。
そんな洋子の人生が一瞬にして変わった。
あの瞳、あの早口、あの姿が、私の前から消え去った。

 若さゆえの「三%の確率の生還」をやり遂げて、元気になっていく体。
でも違う。以前の洋子じゃない。
未知なる脳の世界に迷い込む。うまくしゃべれない。落ち着かない。記憶が残らない。
洋子から人間の気配が消えた。
リハビリが始まる。どうすればいいか、先生も迷う。私はもう何にも考えられない。

 どこへ相談に行けばいいのか。窓口がない。
後遺症について共に考えてくれる窓口がない。
心のケア。いや違う。心じゃない。
現実を目の前にしてのケアがほしかった。
「私のところだけが……」、と落ち込んだ。
「夜が明けて一日が始まるな」、とひたすら願った日々。辛く苦しい日々。
人知れず泣く、悔しさに泣く、洋子の将来を思い泣く、涙がこんなに枯れないことを初めて知った。

 そんな中で、小学校四年生になった拓馬。直子の嬉しい小学校入学。
少しずつ手が離れて行く子供たちのはずが、皆私を求めてくる。
私の頭の中は洋子のことでいっぱい。心のゆとりを失っていた。

 リハビリ室で訓練する洋子の姿を見て、涙がポロポロこぼれた。
「あんた、何でここにいるん? なんでそんなこと出来へんの」。心の中で叫ぶ。
そして思う。これは夢、悪夢だ。目をギュッと閉じ、そしてそっと開ける。しかし洋子は目の前にいる。

 もう生きる力がない。
そんなに前向きに頑張れるわけない。
残るは「死ぬ」こと。「死ぬしかない」。
それだけを考える日々が続く。先の見えない暗く長いトンネルの中にいる私は、死を考えているとき、心の安らぎを感じていた。

 命が助かった喜びは大きい。
大勢の人々に助けてもらい、秒単位の奇跡が洋子を救った。
でも失ったものも大きい。それを考えると、私は生きる力を完全に失っていた。

 平成七年九月、重い気持ちを引きずって仮設住宅へ引っ越した。
洋子はリハビリの日々、下の二人の子供は転校。
でも、ここで私たちの力になってくださった多くの人々に出会った。
洋子は通院ボランティアさんとリハビリに行く。
やっともらった一人きりの時間。
洗い物をしながら泣いた。
洗濯物を干しながら涙が出た。
泣いてばかりの私も、洋子が少し落ち着き、皆に優しくしてもらって徐々に心が癒えてきた。

 丸二年間のリハビリ生活にピリオドをうつ時が来た。憧れの高校生になるために。

 震災で受験出来なかった洋子は、その年、内申書だけで受かった高校があった。
二年間待ってもらった。
完璧でない洋子をリハビリを兼ね、そして復活の奇跡を信じて、門を開き受け入れてくれた。
いろんな方々に世話になりながら、やっと手に入れた夢に見た高校生活を、今送る。
しかし問題は山積。
そして、これから先、生きて行くための社会生活のことを考えると私の心は重く痛い。

 地震から千日が過ぎたとマスコミが取り上げようが、私の震災は洋子が元の元気な洋子の姿に戻らぬ限り終りはしない。

 子供たちが生まれ育った町で、ずーっと大人になるまで暮すことに何の疑いもなく生きてきた。
それがあの一瞬に打ち砕かれた。
人生なんて何にも信じるものがないこと、思い知らされた。
これからの私たちの人生は、その日暮し。毎日が無事に過ぎ、次の日を迎える。そんな日々の積み重ね。
将来に夢や希望を持つことは大切かもしれないけど、私にはもうそんな元気はない。
風が吹くままに身を任せながら流されて行く。
そんな生き方しか出来ない。

 だけど、そんな私たちも二年二カ月の仮設生活にピリオドをうち、新しい生活を始める。そんな風が吹いたから。
これからの私たちの暮しが、少しでも明るければもう何もいらない。

 この地震で命を奪われ、家を失った人がいる一方で、元気な体を奪われ、後遺症を引きずって生きていかねばならなくなった人たちのことも忘れないでほしい。