あとがき            

 阪神大震災を行政責任者への非難や日本人論で終わらせてしまってはもったいない。それらはすでに十分にされている。今必要なのは、「では私たちはどう変わらなければならないのか?」「どうしたら変われるのか?」の処方箋だ。
 平成七年に、私たちは第二次大戦後五〇年を迎えた。あの敗戦で我々の先輩は、それを見いだせなかった。国体は護持され一億総懺悔で、後は経済復興に邁進した。
 第二次大戦では、多くの遺族が出た。遺族は阪神大震災同様、肉親の「理不尽な死」を合理化し死の意味を見つけようとする。特に兵士の遺族は、夫や息子や兄弟の死を犬死にとは思いたくない。そこで第二次大戦を「聖戦」と思いたい人たちが出る。これらの人に面と向かって、「侵略戦争だった」と告げるのは勇気がいる。
 平成七年八月九日はシンガポール共和国の建国三十周年記念日だった。私は出張で同地に滞在したが、テレビは連夜、記念番組を放映していた。
 同国は大戦後イギリスの支配下に戻り、一九六三年マレーシア連邦結成に一州として加わり、六五年に連邦から離脱し独立した歴史を持つ。ところが、テレビ番組のほとんどは、独立の二十年も前の日本軍占領時代の苦難に関するものであった。これは、シンガポールの人々にとって、イギリスからの独立の苦労や、淡路島くらいの面積の島国がマレーシア連邦から離脱し国として生きのび発展した歴史よりも、大戦中の歴史の方が圧倒的な重みを持つからだろう。これらの番組のどこにも、日本のおかげでイギリスから独立できたとの歴史観はなかった。
 大戦の日本人遺族にとって、肉親の死が無駄だったと認めるのは大変な苦痛だ。しかし、当時の日本が主張した戦争の大義が何であれ、それが成就せず、対象となる国々の人々の心の中に苦難の歴史としてしか残っていないとすれば、日本がしたことは歴史的事実として侵略だったとしか言いようがない。
 自国の軍隊を「侵略軍」と名乗る国はどこにもない。「国防軍」「自衛軍」と名乗る軍隊が「大義」のもとに戦争し侵略を行なう。歴史は、戦争で亡くなった人々は、加害者側であれ被害者側であれ、犬死にだったと教えている。日本人はその歴史的事実を率直に認めることから出発しなければならなかったのではないか。
 マレーシアのマハティール首相は、文部大臣の時代に『マレー・ジレンマ』を書いた。その中で、マレー人社会の矛盾や民族の弱点を冷静に分析した。当時多かった近親結婚の弊害にまでも踏み込んで批判したので、首相就任まで本は発禁処分になった。マレーシアの現在の成功は、この勇気ある政治家の指導力に負う。
 私たちには、自分たちの弱点や社会の欠陥から目を背けず、真正面から問題解決に乗り出す勇気が欠けているのではないだろうか。戦後五十年、市民はすべてを「専門家」任せにし、問題が起こったときだけ文句を言っていれば済んだ。右肩上りの経済成長の中で、矛盾は金銭的解決で先送りされ続けた。それができる財源が、政府にはあった。しかし、日本の人件費が世界一高くなり、東アジアの国々が勃興し、多くの製造業が海外移転を進めるに至って、わが国は経済成長が見込めなくなった。財政支出で矛盾を先送りにすることができなくなった。
 民間経済の比重が高くなり、国民の価値観が多様化している日本では、もはや一人の政治家の勇気や一握りの官僚の英知で社会は変わらない。市民一人ひとりが直面する問題から目を背けず、自分の知識と経験を総動員して発言し対話し、対立者と妥協点を見出し、解決する作業が必要になっている。市民が自己責任を伴った自由な発言をし、しかも社会との調和を図る英知が求められている。
 この国には「知的大衆」とでも呼ぶべき人々が大勢いる。諸外国に比べてその比率は高いかもしれない。朝、新聞を読まないと落ち着かない、外国の首都の名前が思い出せないと気持ちが悪い、新しい社会現象に興味がある……。私もその末端に連なっている。しかし、これらの人々には弱点がある。貴重な体験を簡単に類型化してしまったり、自分の意見が借り物になったりしやすい。震災の場合だと、「普段からの心構えが必要だ」「ものより人との心のふれあいが大切だ」「行政は災害時に機能しない」などといった感想をすぐに引き出して納得してしまい、独自の発言や行動に結びつかない。
 私たちアマチュアは、情報収集力や分析力や表現力ではプロに劣る。だが実体験に基づいた記録や意見では、プロが及ばないメッセージを発信できるはずだ。
 発言の相手も、まず家族、隣人、友人、職場の同僚、信仰やボランティアや趣味の仲間など身近なところに見つければよい。食卓での会話、隣人との挨拶、自治会活動、知人への季節の便りや電話、PTAや趣味の会や同窓会への参加、犬の散歩仲間との会話など、おっくうがらずに少し努力して対話の輪を広げることから始めたい。人見知りする人には、投稿やパソコン通信という手段もある。
 現代の日本では、市民一人ひとりが家庭生活や仕事や旅行や趣味を通じて貴重な情報を蓄積している。市民レベルの対話では、その個人情報の自主的な公開が期待できる。例えば、洗濯機を買うとき、私たちが知りたいのは、新聞の生活欄の記事のような概論ではない。メーカーは松下かシャープか日立か……。どの機種が自分に一番適しているか。それを最も安く買えるのは、どこの店で、いくらか。固有名詞と具体的な数字が知りたいはずだ。これらの情報は、他の市民からしか得られない。
 私たちがこれから解決しなければならない問題のほとんどは、有識者とされる人たちの概論で、すでに語り尽くされている。しかし、それだけでは解決できないのが明らかになった。市民同士の対話とそれを通じた国民的合意の形成にしか解決の糸口はない。
 今井俊作さんは、第一集で地震の混乱の中で治療を受ける困難と、それを助けてくれた人々への感謝を記した。第二集では地震後にできた患者団体の災害対策プロジェクトでの、被災患者マニュアル制作について書いた。つまり今井さんは、人工透析患者としての被災体験を生かし、「未来の被災患者」のためのマニュアル作りに取り組んだ。概論ではなく、患者自身のプライバシーも開示した、体験に基づいたマニュアルは、読み手に分かりやすく記憶に残りやすい。そこでは、患者自身がこれまでの病院任せの受動的な姿勢を改め、治療に必要な最低限の知識の習得や、食料と水の備蓄や、仲間や近隣とのネットワーク作りが必要だと提案している。
試練に立たされたとき、心の支えになるのもこのようなネットワークの輪の中の人たちだ。阪神大震災は、私たちにそう教えている。

 平成九年になって、円安や株価の低迷や金融機関の破綻から、日本は先行きの悲観論一色になっっている。しかし、家庭であれ、会社であれ、国であれ、外から見るほどしっかりはしていないが、中から見るほど頼りなくもない。市民一人ひとりが、自分たちの弱点を冷静に見つめ、克服する勇気を持ち、おっくうがらずに行動すれば、未来は開ける。
 

参考引用文献
「阪神大震災を記録しつづける会」への投稿手記(住所・年齢は投稿時)
「阪神大震災・被災した私たちの記録」
 阪神大震災を記録しつづける会編(朝日ソノラマ)
「阪神大震災・もう一年、まだ一年」 
 阪神大震災を記録しつづける会編(神戸新聞総合出版センター)
「都市政策」79〜82号  神戸都市問題研究所(勁草書房)
「阪神大震災と自治体の対応」 高寄 昇三(学陽書房)
朝日新聞
神戸新聞
日経新聞