第七章 情報公開と市民の対話

 情報公開
 震災後一年がたって情報がかなり公開されはじめたが、自衛隊や消防の活動の問題点、震災直後の犯罪の記録、倒壊した建築物の手抜き工事など、情報の公開がまだ不十分な事柄がたくさんある。
 投稿者の中には、手記が本に掲載されると決まると、ゲラ(印刷用版下)を希望する人々がいる。そのゲラを上司に見せて了解を取らなければならない公務員の人たちだ。公務員の奥さんもいる。官公庁には、その職員が個人の資格で投稿する手記をチェックする権利があるのだろうか。まして、その妻の手記まで。チェックする側の論理は、業務上知り得た事柄が、市民のプライバシーを侵害してはいけないということだろうが、チェックされる側は、手記を発表すること自体がおっくうになる。しかも、属する組織や人に関する批判がしにくくなる。この章では、市民が自己責任で発言するのを阻む、私たちを取り巻く「空気」と、その克服について考えてみたい。

 日本は欧米先進国に比べ、行政機関や企業の情報公開が遅れている。古くは公害問題や日米安保条約に伴う諸問題や農業問題、最近では大和銀行の米国からの追放や住専処理などの金融問題、血液製剤のエイズ禍、官々接待、動燃のもんじゅ事故など、問題の根っこの部分に情報の非公開の問題がある。
 情報を持っている側は「情報を公開すると市民がパニックに陥る」「プライバシー保護」という二つの大義名分で公開を拒むのだが、弊害が出る。情報保持者が自分に都合の悪い情報も秘匿できることと、利権が生まれることと、市民が情報を冷静に分析する機会を失うことだ。私は行政機関は、原則的にすべての情報を公開すべきだと考える。現在の「原則非公開」から「原則公開」に一八〇度転換すべきだ。
 情報を公開すると市民がパニックに陥るという理屈は、三つの点でおかしい。まず市民をばかにしている。大昔なら統治者と被統治者との間に大きな判断力の差があったが、現代の日本ではそう格差はない。格差があったとしても、それは私たち市民が十分な情報を持っていないのと、情報を得て判断する機会が少ないせいだ。情報公開が先か、市民が情報を冷静に分析できるまで成熟するのが先か、一見ニワトリと卵の関係のようだが、情報公開が先だ。情報判断の訓練の機会がなければ、市民の能力は育たない。労働運動がそうだった。戦後争議権を手に入れた労働者は、それまで抑圧された反動で過激な労働争議を行った。しかし、現在では労使共に歩み寄り、労使協調型の労働運動に成熟した(「成熟」し過ぎたきらいはあるが……)。韓国も同じようなステップを踏んでいる。行政機関の情報は原則全面公開するべきだ。その中で、外交や軍事などで国民の合意を得られるものについてのみ、例外を設ければよい。
 情報を公開すると市民がパニックに陥るという主張がおかしいもう一つの理由は、もはや行政機関に情報を秘匿している間に事態を収拾する能力がないからだ。市民がパニックに陥るという文脈の中には、情報を隠す側は、冷静に事態を収拾できるという大前提がある。しかし、私たち日本人が現在直面している問題の多くは、阪神大震災を含めて、行政機関の努力だけでは片付かなくなっている。市民の新たな負担と協力が必要になっている。一昔前なら予算を公共事業につぎ込めば、景気が回復した。二昔前なら公定歩合を下げるだけで、株価は持ち直した。しかし、現在の日本は政府の金融、財政政策だけで経済をコントロールするには、民間経済の部分が大きくなり過ぎた。さらに国際化によって、自国の通貨や企業すらコントロールが難しくなっている。つまり、行政機関の多くは、すでに統治能力を失ってしまっている。情報を秘匿して時間を稼ぎ、その間に事態を収拾できないのなら、情報は公開すべきだ。
 情報を公開すると市民がパニックに陥るという論理に対する三つ目の反論は、市民はパニックに陥る権利もあるということだ。パニックの結果の混乱も、長い目で見れば、市民にとって良い試練になる。狼狽すべき時には狼狽し、傷を負うべき時は傷を負い、その中から国民的教訓を得てやり直せばよい。歴史は一国の政治的安定や経済的繁栄は、市民がたえず努力しなければいずれ失われると教えている。
 情報公開を阻む今一つのプライバシー保護という大義名分は一見説得力がある。たしかに、個人情報まで公開されては、犯罪歴、病歴、破産歴、離婚歴などによる差別や、不公正な商品や宗教の勧誘、あるいはいやがらせの危険がある。しかし、これらは個人情報の公開項目を限定したり、刑法を変えることによって解決できる。そもそもプライバシー保護は、すべてに優先されるべき原則ではない。私たちは、特に個人のプライバシーは聖域であるかのように思いがちだが、その個人情報が社会に不利益をもたらす場合には公開されるのが当然だ。社員の採用面接で、会社側が「性別くらいしか聞いてはいけない」ほどプライバシーに厳しい米国でも、上級公務員が就任するにあたって、その職にふさわしくないと思われる個人情報が公開され、審査される。プライバシー保護は、私たちの自分に都合の悪い個人情報は隠したいという本能を満たすものではない。人に知られたくない情報であっても、社会とかかわりがある場合には、個人であっても公開しなければならない。逆に公人や芸能人であっても、社会とかかわりのないプライバシーについては、厳重に保護されなければならない。
 しかし、発表したプライバシー情報を悪用されるのは問題だ。この点だけを解決すればよい。すでに個人情報は、カード会社や金融機関などによって集められ、名簿の売り買いや、入力ミスで被害者も出ている。ところが刑法のほとんどは、戦前のものを引き継いでいる。電話の普及率がほぼ一〇〇%になり、コンピュータが発達しパソコン通信が急増する現代に発生する情報化犯罪を裁くには無理がある。個人情報を悪用した犯罪行為が割に合わなくなる厳しい罰則を作れば、悪用は防げる。犯罪の摘発については、情報取得の流れが分かれば、つまりその情報まで公開されれば、容易になる。現在のように、住民票や戸籍謄本の不正閲覧が簡単にできたり、高額納税者の名前が何の法的根拠もなく公表されたり、住専問題で最初プライバシー保護を理由に開示されなかった大口融資先名とその詳細が一部のマスコミに流れ、なし崩しに発表されたりする方がよほど問題だ。情報化社会にあった、新たな法律の整備が必要だ。それによって、公的機関や企業が主張するプライバシー保護を言い訳にした情報の秘匿は根拠がなくなる。
 企業情報については、個人情報より更に大胆な公開ができるはずだ。東京三菱銀行のように、ニューヨーク株式市場に上場している会社は、財務資料を日本の規準以上に公表している。企業の国際化が進むにつれ、企業のプライバシーも、情報公開の国際規準に合わせざるを得なくなっている。
 私は行政機関や企業の情報公開は、かなり進むのではないかと楽観している。行政機関が情報を秘匿して時間を稼ぎ、その間に事態を収拾できる時代ではなくなったことと、企業も株主代表訴訟や国際化によって情報を公開せざるを得ない状況に追い込まれているからだ。むしろ問題は、情報を投げ出されたとき、市民がどう対応するかだ。私たちが「専門家」の手にも余る問題をどう処理するかだ。

 財政危機
 市民に要求されるのは、市民同士の利害調整能力だ。地震後、被災都市自治体は財政一〇カ年予測を発表した。その内容は、平成七年からの一〇年で、神戸市が六八〇〇億円、西宮市が三五〇〇億円、芦屋市が二五〇〇億円の財源不足をきたすというものだった。神戸市は、その後不足額を四〇〇〇億円台まで下方修正したが、財政危機が解消したわけではない。
 『阪神大震災と自治体の対応』(高寄昇三著)は、
 「このような危機的様相を呈する都市財政に対して、確固たる処方箋はない。さりとてそれほど有効な再建策があるはずはなく、市民、企業も総ぐるみでこの危機を回避する常識的努力を積み重ねるしかないだろう」と、悲観的だ。
 神戸市を含む被災都市自治体は、このままでは破産する。米国の証券不況、住宅金融専門会社の破綻を後追いしている日本は、まだ自治体の破産だけは経験していない。破綻寸前の自治体はいくつかあるが、何とか取り繕って先伸ばしにしてきた。それが、震災をきっかけにして、被災都市自治体に出ようとしているのかもしれない。
 神戸市が破産すれば、米国の自治体に見られたように、市民サービスが滞り治安にも影響が出る。そうなると、経済力のある市民は転出し、神戸市は再建のすべさえ失う。
 財政面で更に深刻なのは、市の財政より大きな民間経済部門が震災で消耗していることだ。
 震災一年目、被災地の道路や住宅などインフラ(経済社会基盤)の復旧度は三三%にすぎなかった。民間で再建が必要な約三十万戸のうち、着工されたのは推計約五万千戸で、全体の約一七%に過ぎなかった。商業建築物は更に低く一三%だった。解体済みのビルでさえ、再建が決まったのは三割に満たなかった。
 更に深刻なのは、総生産の大きな比率を占める第三次産業の立ち直りが遅れたことだ。平成七年十二月現在で、神戸市内の前年同月比で二五・六%減少し、主要観光施設の客数も五二・〇%減少した。シティホテルの客室稼働率は五二・四%(前年比マイナス四・七%)にすぎなかった(平成八年一月十七日付日経新聞)。
 震災二年目になっても、百貨店売上高は九四年の二割減、観光客は震災前の八割まで戻ったが、シティホテルの客室稼働率は、九六年一|十月平均で五八%と、依然採算ラインの六割を切っている(平成九年一月十七日付神戸新聞)。
 知り合いの小売業者のうちの数人は、地震後営業を再開したが、平成九年になって店を閉じた。「再建は当然と思って頑張ったが、その頑張りがよけいだった」と、反省する人もいる。地震前、償却を終えた設備でも採算が厳しかったのに、住民の復帰が遅れ、消費が冷え込んだ被災地で、新たな投資を伴う事業の再建はハードルが高すぎる。
 これらの人々は、「常識的努力」だけでは生活の再建はできない。国からの財政援助を受ける以外に、打開の方法はない。被災者やマスコミには「住専処理の資金を被災地復興に回せ」と分かりやすい主張もある。しかし被災地外の人々の合意が得られるだろうか?
 今までなら、国に陳情すればよかった。ところが、この震災の損害額は約一〇兆円だ。しかも「損害額一〇兆円はあくまで限られた物的被害で、逸失利益としての収入減、市民所得喪失などは算定の対象となっていない。これら間接被害は平成七年度の防衛白書によると、長崎普賢岳のケースでは、直接被害の二倍と推計されている。阪神大震災では交通機関が半年余にわたって不通となり、経済活動は低下し、市内企業に大打撃を与えた」(前出『阪神大震災と自治体の対応』)。地震後被災地が国に対して三兆円の復興基金の創設を要望したが、自治体及び市民への必要な支出資金は、ほぼその程度になるだろう。この額は、中央官庁といえどもその裁量の範囲を超えている。国民的合意が不可欠だ。

 公的支援
 まず、「国は個人財産の補償はしない」という原則について、考える必要がある。この延長上に「被災都市自治体の補償はしない」という議論が成り立つからだ。この原則を支えるのは、「そんなことをしたらキリがない」「さかのぼって、第二次大戦の戦災補償も要求される」「東京に大震災が来たら財政が破綻する」などの意見に代表される「健全財政論」だ。なるほど、財政当局者には、財政が破綻する可能性があるような、大胆な財政政策はとれないだろう。しかし、東京に大震災が起こり、東京都民の個人財産の補償をしなかったとして、「健全財政」が保てるだろうか? 日本全体の経済が落ち込み、国家財政は大打撃を受けるはずだ。そのときは、被害のなかった地域の福祉を削ってでも、復興資金は調達しなければならない。国民が困窮しているのに国家財政だけが健全ということはあり得ない。国家が国民の集合で成り立っていることを忘れている。
 だが「国は個人財産の補償を行なう」と原則を一八〇度変えるのにも、問題はある。経済行為の失敗の補償もしなければならなくなるからだ。「国は自然災害による個人財産の喪失補償をする」という原則ではどうだろう。直接損失額の三割程度の補償が実現すれば、住宅なら頭金になるし被災者の自助努力意欲の呼び水になるのではないだろうか。
 被災地外の人々がこの政策転換の提案を被災地のエゴと捕らえるならば、政治家も官僚も手がつけられない。大多数の国民が、自分たちも「未来の被災者」と考え、積極的に支持しなければ、「国は個人財産の補償はしない」という方針の変更はできないはずだ。
 一方、私たち被災都市の市民がしなければならないのは、被災地外の人々への説得だ。朝日新聞の平成七年八月二日付「論壇」に、大阪工大の酒井道雄講師が紹介していたが、被災地以外の知人に、「阪神大震災の被災者に義援金、見舞金はどれくらい配分されたか」と聞いたところ、「被災者数が多いから五〇〇万円」が最低で、最高は「一五〇〇万円」だったそうだ。
 これらの人々は、普賢岳の島原や奥尻島の例から金額を推測した。島原では見舞金のほかに、全壊家屋(五四六軒)に県と市から四五〇万円、半壊家屋に二五〇万円、更に自宅の新築、中古住宅の購入には五〇〇万円、家を建てない世帯には三〇〇万円が配分され、奥尻では持ち家全壊の家屋に四〇〇万円、半壊に一五〇万円、自宅の新築に七〇〇万円が助成された。
 阪神の被災者には義援金(合計約一七〇〇億円)から一次配分で死亡者の遺族と家屋全半壊(焼)の家族に対し一世帯当たり一〇万円、二次配分で再建及び移住費用として三〇万円が贈られた。
 問題は、被災者の数が多過ぎたことだ。一七〇〇億円を超える義援金が寄せられた。これは、普賢岳の二三〇億円、奥尻島の一八〇億円に比べて大変な金額だ。しかし、地震直後、兵庫県下で避難した人の数は三〇万人(これら以外に、自宅が全半壊しても色々な事情から避難所に行かなかった人々も大勢いる。「避難所に入る体力もない」障害者やお年寄りを抱えている家族だ)に及んだ。そのほとんどは、自宅が被害を受けた。三〇万人のうち二割弱の人々が、その後も避難所(退避所)や仮設住宅に入り、公的補助を受け、マスコミにも取り上げられている。ところが、八割強の人々は自助努力で自宅や生活の再建に取り組んでいる。

 市民同士の対話
 これらの人々も大変な苦労をしている。会社から社宅を提供された人もいるが、賃貸住宅に入ったり、子供を親戚に預けたり、二世帯同居、ときには三世帯同居でしのいだりしている家族がほとんどだ。
 これらの事実を、市民レベルで具体的に被災地外の人々に伝えてはどうだろう。つまり、市民による震災情報の公開だ。災害が他人ごとの場合には、関心はより可哀想な話や悲惨な話、心温まる話に集まる。しかし、市民自身が被災地外の知人に、自分が今どう困っているのか、周囲で何が起こっているのかを具体的に語ったら、テレビや新聞の「客観報道」を超えたインパクトを被災地外の人々に与えるはずだ。「私が、……」「あの〇〇さんが、……」というメッセージはプロのマスコミが伝える何倍もの迫力がある。
 第二集が出た後、叔母が電話をくれ、「あなたたちの本も読んだけど、もっと感激した本がある」と言った。叔母は県立西宮高校の卒業生だ。震災直後に、有志が仲間の安否を尋ねて往復はがきを送り、返事を「被災通信」という小冊子にまとめた。私はすでにその本を読んでいた。しかし、そんなに強い印象は残っていなかった。同じ本を読んで、このように感想が異なったのは、叔母には四十数年前の級友の顔がよみがえり、私と同じメッセージを見てもインパクトが違ったからだ。
 このような対話が生まれれば、はじめて市民同士の利害の調整の機会が生まれる。被災地外の人々に、自分も「未来の被災者」であると意識してもらい、他人ごとではないと認識してもらうには、このような市民同士の対話の積み重ねが必要なのではないだろうか。私たちの活動も、そのささやかな助けになればと思う。
 公的支援には、国会での審議が必要だ。しかし、その前に全国的な市民レベルの対話を経る必要がある。なぜなら、私たち日本人がこれから解決しなければならない、消費税率、自衛隊の海外派遣、沖縄の基地と日米安保条約、農業の自由化、自治体の破産、住専やそれ以上に大きな不良債権を抱えるノンバンクの処理、年金制度、老人介護と医療、失業、学校でのイジメ、産業の空洞化、原発など、どれ一つをとっても、今までのように政治家と官僚に任せておけば解決してもらえる問題ではなくなっているからだ。いずれの問題も踏み込んでいけば、市民同士で利害が対立したり、すべての市民が新たな負担を強いられる。
 このように市民同士の対話が必要な時代に入っているが、それを妨げる要素が我々市民の中にもある。

 自己責任で判断する勇気
 その一番目は、私たちが自己責任で物事を判断する勇気に欠けている点にある。新聞の読者投書欄には、新聞の社説や有識者の意見の焼き直しが多い。例えば平成七年度に参議院選挙があったが、その投票前には、「被災者は政治家不信」という主旨の投書が多かったし、投票後には投票率が低かったのをそのせいにするものが目立った。
 たしかに参院選の投票率は低く、阪神大震災の被災地ではとりわけ低かった。全国平均が四四・五二%だったのに対し兵庫県は三八・二九%、神戸市は三四・七七%だった。さらに中央区で三一・六九%、長田区で三三・二六%、東灘区で三三・三五%と被災地の中でも、被害の大きかった地区の投票率が低かった。
 これらを総括して被災地の人たちの政治不信の現れだとする意見があるが、その論理は乱暴だ。なぜなら、被害が少なかった大阪府の投票率は、兵庫県を下回る三八・二六%だった。また日本より政治状況が深刻な国や、政治家がもっと腐敗している国の投票率は案外高い。
 選挙民が投票所に足を運ぶのは動機があるからだ。支持する候補者を当選させ、それを通じて個人の意志を政治に反映させたい場合もあれば、候補者やその支持団体に対する義理を果たす場合もある。投票を強制される場合もあり票を売る場合だってある。国民が政治に強い関心があったり選挙戦が活発なのは、その国が幸せでない場合が多い。
 被災地の有権者は復興作業を優先させ投票どころではなかった、あるいは政治に関心を持たなかったのだろう。要するに、平成七年の参院選の低投票率は、被災地の選挙民の政治不信ではなく、無関心を示しているに過ぎない。「政治と関係なしに自分たちは生きていける」と思った人が多かったということだろう。
 新聞や雑誌の論評は、歯切れがよく分かりやすいが、数字や資料を意図的に使ったものが多い。また、読者に耳障りな意見が除かれている。災害の後には、「被害者は正義」という風潮が蔓延する。まず「被害者やその家族から、やり場のない怒りが、救出活動の遅れにぶつけられた。心情はもっともだ。この災害は人災だ」といったコメントが出る。しかし、被害者とその家族の声が正しくないこともある。家族の承認が取りつけられず「迅速な救助活動」ができない場合もある。被害者とその家族の声には十分耳を傾けなければならないが、その声が間違っていることもある。
 選挙の例でいうと、選挙民への非難がない。低投票率は、有権者の「政治不信」と「投票所へ行きたくなるほど争点が明確でなかった」などと言う。するとまた、それを後追いした投書が出る。
 民主主義は、自己責任で発言し、政治に参加する市民がいて、初めて成り立つ。「政治家が悪い」「だれに投票しても同じだ」と、頼まれた候補者に投票したり、棄権したりするのは民主主義を危うくする。「理想の候補者がいない」「選択肢が少な過ぎる」という人は、選挙を誤解している。政党にとって、選挙の目的は権力の奪取だ。権力に近付けば腐敗する。したがって、既存の政党はすべて何らかの腐敗や傷を負っている。新政党も時間の問題だ。議員も議席を得たら必ず汚染される。有権者にとって、選挙は腐敗にブレーキをかける唯一の機会だ。選挙は、運転免許の試験のように、いくつかの候補から必ず一つある正解を選ぶ作業ではない。完全無欠な党や人を選ぶのではなく、相対的にマシな候補者を選ぶ作業だ。
 選挙のつけは有権者に降りかかるだけではない。子孫にも影響する。そして、わが国が第二次世界大戦でアジアの国々に苦痛を与えたように、ときには外国にまで及ぶ。経済大国となった日本の私たちの政治選択は、国際社会に対しても大きな責任がある。
 自分の頭で考え、自分の生活体験に根ざした、借り物でない意見を出さなければ、対話が上滑りになってしまう。実体験に基づき、できれば個人情報も公開した意見を述べる勇気を持たなければ対話は成立しない。

 的外れな批判
 二つ目の市民同士の対話を妨げる要素は「的外れな批判」だ。これは、行政機関やマスコミや企業が情報公開をためらう原因にもなっている。例えば、函館空港でハイジャック事件があった後、犯人の出身校の神戸大学に匿名の電話があった。「あなたたちは国費でハイジャック犯を育てているのか?」という非難だ。このような電話は無視すればよいのだが、普通の人には不愉快な記憶として残る。その結果、できればこのような摩擦を避けようと、情報公開をためらう行動につながる。新聞の解説や社説がおもしろくないのも、このせいだ。新聞は読者という消費者を意識している。しかし、良い記事が出たからといって激励や感謝の電話を掛けたりはがきを出したりする読者は限られている。逆に、記事を詳細に読み、あげ足とりをしようとする特殊な読者からの声はある。これが記事を書いた記者を悩ませる。阪神大震災の例では、呼び方がそうだ。「阪神大震災」と表記すると、必ず「なぜ淡路を抜かした」との批判がくる。限られた紙面で、しかも被災地外では風化しつつある事件を表記するのに、「阪神大震災」で十分ではないか。呼称はなにがしかを切り捨てて成り立つものだ。むしろ、短く覚えやすくして、記事や活動の内容で補足すればよいのではないか。
 新聞記者は権力に対する攻撃には慣れていても、自分自身が攻撃されることには慣れていない。新聞は「第三の権力」となったが、記者の一人ひとりが傲慢なわけではない。むしろ、ほとんどの第一線記者は、自分たちの取材能力の限界やテレビより劣る速報性や社会影響力に危機感さえ持っている。ところが新聞の文字情報は、時間をかけてチェックするのに適しているので、マニアックな人たちの標的になりやすい。その結果記事が「無難」になってしまう。元々言論の原点は「むこう傷を恐れず自説を発表する」ところにあったはずだ。落語の「目黒のさんま」のように油っ気の抜けた社説や論説になったのでは本末転倒だ。
 私たちの会のような、どちらかというと「無難な活動」にも的外れな批判はくる。その最大のものは、「体験記を集めて商売にするのか」という批判だった。一般の人は本を売る難しさを知らない。阪神大震災関連の本でも、写真集は健闘したが、その他の本で採算ベースに乗ったものは少ないのではないだろうか。
 「的外れな批判」を分類すると、三種類に分かれる。一つはあげ足とりで、もう一つは異常な潔癖さ、最後が知識不足だ。それぞれ、神戸大学への非難、阪神大震災の呼称、私たちの会への中傷に代表される。
 東灘区のマンションの自治会で、有志が月報を発行した。住民の娘さんの、「集会室を利用して受験勉強したお陰で合格しました。気を使ってくださった皆様ありがとうございました」という投稿を掲載したところ、「浪人生が見たら、傷つくのではないか?」との投書が寄せられた。住民の市会議員が、放送局でもらったボールペンや粗品を子供会の記念品に寄付してくれたという記事を出すと、「公職選挙法違反だ」との非難が出た。夏にバーベキューパーティを企画したら、「食中毒患者が出たら誰が責任を取るのか?」と反対する。このような、したり顔の批判が自治会の役員のコミュニケーションの意欲をなえさせる。
 私たちは第一次手記募集で、ポスター貼りボランティアを公募した。その人たちが避難所に出かけると、右記のような批判も含めて、いろいろな質問に直面した。そこで、次のような応答集を用意した。
☆    ☆    ☆
a なぜ、謝礼を付けるのか?
 外国ではこのような手記を募集するのに、普通謝礼を出します。外国人被災者の方々の手記を集めるのには謝礼が必要だと考えました。日本人と外国人で募集条件を変えるわけにはいきません。
 また、今まで手記の投稿をしたことのない方々にも呼びかけるためです(新聞やテレビでも同様の手記の募集をしていますが、いずれも謝礼は明記されておりません)。同じ趣旨からポスターにふりがなを付ける、録音テープでも受け付けるなどの工夫もしております。
b なぜ審査をするのか?
 「審査」ではありません、「選考」です。客観的で裏付けの取れるものでないと、残念ながら記録とは言えません。有識者によるチェックが必要です。
 選考の基準は、文章のよしあしや被害の大きさではありません。記録としての価値が基準となります。
c 締め切り(平成七年三月十五日)が早過ぎる。
 被災地では、急を要する仕事や重要な仕事が山ほどあります。しかしマスコミの取材から漏れた記録や、今この時期を逃すと記憶から消えてしまうものも膨大にあるはずです。締め切りは一応の基準です、会の名前の「記録しつづける」という趣旨からも、締め切り後であっても原稿は必ず読み今後の記録として生かします。
d 体験記を集めて商売にするのか?
 二十五万人が亡くなった中国・唐山大地震、普賢岳の爆発、奥尻島の地震・津波の被災記録を読まれたことがありますか? 出版業界の常識として、災害の写真集は売れますが記録集は売れません。被災者やボランティアの一人ひとりは、ご自分の体験を本にしただけでもベストセラーになると思っておられるかもしれません。しかし、体験の重みと本が売れるかどうかとは何の関係もありません。
 企画をスタートさせた段階で、東京の出版社に「日本出版企画uが全費用を負担する」という条件で、出版の内諾は取り付けてあります。しかし、出版部長のアドバイスでは新幹線が開通する五月一杯に発売しないと売れないだろうとのことです。
 『阪神大震災、その一年後』(仮題)などという本は、さらに売るのが困難です。しかし、だれかが本の形にしておかなければ記録は後世に残りません。
e 受け付ける外国語はなぜ朝鮮語・中国語・英語だけなのか? 
 現在のところ私たちの能力では、この三カ国語しかカバーできません。どの国語でも受け付けるのは、かえって無責任ではないでしょうか。
f 会の組織と運営はどうなっているのか?
 会は二月二十三日深夜に電話で連絡を取り合ってできました。二月二十六日現在で、メンバー数は約三十名です。全員が個人の資格で参加しています。事務局まで来ていただければ、会員名簿の閲覧(コピーは出しません)はできます。
 ポスターやチラシの制作・郵送、広告費の支払いや報道機関からの取材の窓口として法人が必要なので、日本出版企画uが事務局となっています。
g 海外在留邦人からの手記をなぜ募集するのか?
 阪神大震災は、海外の日本人にも二次災害を与えています。肉親が被災された方もありますし、神戸港が壊滅したため仕事ができなくなった運送会社もあります。被災地の私たちも大変ですが、連絡もままならない海外で苦労されている方々の声もぜひ記録したいと考えました。
h 入会資格は?
 ありません。会の目的に賛同された方は、どなたでも結構です。被災地以外の方々でも、企画の告知や外国語ポスターの翻訳作業でお手伝いくださっています。
 会の活動は「知恵のボランティア」です。メンバーには義務も権利もありません。
☆    ☆    ☆
 面白かったのは、これらの質問や批判のほとんどが、避難者からではなくて、掲示板の責任者の学校関係者やボランティアから出たことだ。私と同年配のポスター貼りボランティアの中には、これだけで気力がなえた人もいた。逆に、若い人で掲示の許可も取らずに手当たり次第避難所や駅や公共建築物に貼って廻り、一人で一〇〇枚を消化した人もいた。地震後二カ月ほどは、被災地の中はどこにでもポスターが貼れた。
 また、この応答集をチラシにして配り始めたら、質問がこなくなった。思いつきやいやがらせの批判は、相手も片手間なので逃げずにきちんと対応すればなくなってしまう。それに市民レベルの活動は、「いやなら、参加してもらわなくて結構です」と開き直れる強みがある。
 その後も、「建築や法律の専門家を手記の選考委員に入れてはどうか」とか、「書くのが苦手で手記を出せない人の記録も取るべきだ」など、熱心なメンバーの方々からの提案もあるが、自分はできないが、ほかの誰かならやってくれるだろうという提案は、今のところ採用していない。私はボランティア活動は、自助努力のない理想論からは距離を置くべきだと考えている。
 反省すべき点もある。一般の人が誤解しやすい事項については、つまり「体験記を集めて商売にするのか?」や「海外在留邦人からの手記をなぜ募集するのか?」などの疑問に対しては、あらかじめ説明すべきだった。

 論理的説明能力の不足
 市民同士の対話を妨げる三つ目の要素は、私たちが相手の耳に快くない自説を、論理的に説明する能力に欠けていることだ。シンガポールに滞在している時、知人からアメリカン・スクールの作文の宿題は、「すき焼きの作り方」や「三フィートの塀をどう乗り越えるか」といった、説明書のようなものだと聞いて感心した。作文ですら論理表現を重視している。この他、ディベートの時間もあり、自分の好みに関係なくあるテーマを二派に分かれて論争する。私たちは学校教育でこのような訓練を受けていないし、社会に出てからも機会がない。企業では初めから結論が出ている議題の追認が多い。私の会社は神戸商工会議所の海外進出企業懇話会に参加し、私は隔月加盟会社間の海外進出に関する問題の勉強会に出席している。その中で、上場会社を含めて、進出の動機が「社長の一存で」というのが圧倒的に多い。特に中国は、社長が大戦中に中国に行き、格別の郷愁と贖罪感を持っていたケースが目立つ。日本では企業の将来を左右するこのような重大事さえ、情緒的に決定される。もちろん事業の成功の可否は、計画が論理的に正しいかどうかではなく、企業を取り巻く環境や経営者の情熱や担当者の努力によって決まるものだから、これが間違っているわけではない。成功例も多い。しかし、私たちの社会がこのようなプロセスで意思決定をしている事実は直視する必要がある。
 論理的に議論する能力の不足は、反対者との衝突を避けお金で解決する行動に陥りやすい。政府が農業問題を先送りにし、補助金で時間稼ぎをしてきたのもこのような国民性を反映しているのではないだろうか。米の問題では、自民党から共産党まで、「米一粒たりとも輸入しない」と国会決議した。そして、不作の年が来ると、国会決議なしで一挙に輸入した。石炭産業、漁業、構造不況産業対策などすべてこの手法だ。成田空港、原発なども同じだ。私は政府を責めているのではない。政治家や官僚は、国民性を反映した手法を取っただけだ。しかし外国から見ると、全く論理的ではない。
 二十年来の台湾の友人で、「日本は軍事大国になり、再び東アジアに出てくる」と主張する人がいる。十五年ほど前に彼の説を聞いたとき、私は「考えられない。まず若者が徴兵に応じませんよ」と否定した。ところが、『坂の上の雲』(司馬遼太郎)が愛読書の彼は、「明治維新では、尊皇攘夷で江戸幕府を倒した同じ人が一夜で文明開化に変わり、第二次大戦では、鬼畜米英が一夜でマッカーサー民主主義万歳に変わったじゃあありませんか」と反論した。議論はそのままになっていたが、先年、日本政府が米の輸入に踏み切った後に台湾へ出張したら、「そらごらん」と言わんばかりに笑われた。このように、知日家の中に、日本の再軍備を心配する人がいるのは、彼らが私たちの非論理性をよく知っているからだ。
 市民レベルでも、私たちが相手の耳に快くない自説を、論理的に説明する能力に欠けているための弊害がある。私たちは、他人へはもちろん肉親への忠告もできなくなっている。戦前は家制度があり、肉親間の序列が決まっていた。また聖職とされる職業があった。これらを背景に、市民同士の利害の調整や忠告がされていたので、「民主的」ではなかったにせよ社会にはルールが保たれていた。戦後はそれらがすべてなくなってしまったが、それに代わる対等な個人同士の利害の調整や忠告のシステムが確立していない。
 将来の見通しのない一次産業や構造不況産業を補助金や規制で保護して延命を図るのが、本当にそれに従事する人々のためになっているのだろうか。国や地方自治体は言えないにしても、民間団体の商工会議所などが説得し、業種転換や廃業を進めなければ、かえって不幸になる。
 長期的対策としては、学校教育に「論理的表現技術」のカリキュラムを採用しなければならないが、今すぐにでも実行すべきは、市民一人ひとりが、自分の経験や知識に基づいて、自分の言葉で発言し対話することだ。その対話を通じて「論理的表現技術」を習得するよりほかないだろう。

 反対意見を聞く度量
 市民同士の対話を妨げる四つ目の要素は、私たちに反対意見を冷静に聞く度量が欠けていることだ。この世の中で起こることは、どんなことにでも真反対の理屈が成り立つ。私たちは立場や趣味や思い込みで、選択しているに過ぎない。しかし、真の対話の機会が少ないせいだろう、かなりの社会的地位にある人でも、自説と反対の意見を言われると、あからさまにいやな顔をする。また「世慣れた人」は、対立を避けて黙りこくってしまい、対話に参加しない。

 このように市民同士の対話を阻む要素は、私たちの社会にたくさんある。しかし、私たちは阪神大震災を経験した。地震直後、被災地の誰もが、国の内外から駆けつけたボランティアに感謝し「自分にできることはないか」と考えて自主的に行動した。被災地外の大勢の人がボランティア活動や義援金の応募に参加した。決して傍観しなかった。人は社会とのかかわりで生きていると実感した。この経験と共感は、市民同士の対話のきっかけにできるのではないだろうか。現に被災地では、次の章のような市民レベルのコミュニティができ始めている。
 

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