第六章 危機に機能しない人と組織

 誰が悪いのか?
 行政機関は震災に対して十分機能しなかった。手記の中には、「スイスの救助犬より遅れて来た村山首相」とか「兵庫県知事は八時すぎまで、何をしていたのか」と、責任者を非難するものもある。日本人だけではない。
 「静かだった電話が鳴った。ロンドンに住む友人からで、衛星テレビの報道で地震を知り私の安否を確かめようとしてくれたのだ。側近が睡眠を妨げるのを恐れて、七時半以前には起こされなかった日本の総理大臣より先に、彼はニュースを知っていたのだ!」(a原文英語 ピーター・E・フィリップス 五十歳 会社員 神戸市中央区 英国籍)。イギリス人らしい揶揄を込めている。
 マスコミ報道、特にテレビのニュース・ショーや雑誌にもこのような論調が多かった。しかし私には個人に責任を求めるのは、意味がないように思える。村山前総理は、大地震を知っていて眠っていたわけではない。他の人が総理であっても、同じだったはずだ。また知事が万一亡くなっていればこの批判は成り立たない。その人固有の失敗でないものは非難しても仕方ない。
 では自治体を責めれば、将来の大震災を避けられるのだろうか。特に神戸市には、「神戸市株式会社」が海上都市やニュータウン開発に血道を上げ、その開発優先主義が、戦災に遭わなかった密集住宅地区や零細工業地の改良を手付かずにし、今回の大災害をもたらしたという非難がある。マスコミの論調や市民の投書は、これ一色だったのではないだろうか。
 しかし『阪神大震災と自治体の対応』(高寄昇三著・学陽書房)は、「神戸市政が地震に敗北したことは紛れもない事実」と断定した上で、このような論を豊富な資料を元に論破している。
 神戸市は十年前から、戦災を免れた密集住宅街の改良・整備事業を制度化し、進めていた。しかし、権利関係が複雑で住民の合意が得られなかった。長田区のゴム工場街では、工場のアパート化が進められ、三八社が参加し、四つの集団工場ができていたが、すべて焼失した。では防火水槽の数が足りなかったのか? 神戸市の防火水槽の数は、十二大都市中、人口、面積あたり、それぞれ六位、五位だ。いずれも大阪市よりは上位だ。責めるとしたら、地震災害対策を軽視したことだろう。しかし、「神戸には地震が、こない」と信じていた市民が、他の公共事業に優先して、震度七の地震対策事業に賛成しただろうか?
 いうまでもなく、ポートアイランドや六甲アイランド、西神ニュータウンの開発が地震を誘発したのではない。その開発に費用がかかったから、旧市街の改良や防災対策に予算が回らなかったのでもない。神戸市の下水道の普及率は、ほぼ一〇〇%を達成しているし、台風・山崩れ対策は十分にしていた。芦屋市や西宮市のように公共開発事業をほとんどしていなかった市にも、同じような被害が出ている。大地震を都市防災計画に想定していなかっただけだ。
 そもそも今回のような大地震で被害が全く出ない町作りなどできないのではないか。
 震災後あるシンポジウムで、被災した百貨店の元店長が、
 「防災都市、防災都市という声を聞くが、それでは商業ビルは建たない。公共建築物は別として、商業ビルに厳しい規制の網をかぶせると大変なことになる。五百年か千年に一度の災害に備えて、税法上の償却が六十年のビルを建てようとする経営者はいない。それに、防災都市を見に観光客が来るだろうか。今は都市間競争の時代で、どの都市も魅力ある町作りに取り組んでいる。商業ビルの再建が遅れると、神戸は購買客を他の都市に奪われてしまうだろう」との、やや辛口の講演をされた。
 ぜひ手記にして投稿してくださいとお願いしたが、「現在被災地外に住む私が、あのような主旨の手記を書いても、かえって被災地の方々を混乱させるだけかもしれません」と、丁重な断りの手紙しかもらえなかった。
 「防災都市」というスローガンに反対の声は上げにくい。しかし、それが「大地震が起こっても絶対に壊れない都市」という意味なら、大変なコストがかかった上、住みにくい町になるだろう。ビルは地下部分を増やし、地上部分には窓を作らないようにしなければならない。絶対壊れず人が死なない建築物ができたとしても、人が集まらないだろう。都市に住むには、利便性を得る代わりになにがしかの安全を放棄する覚悟がいるのではないだろうか。災害は地震だけではない。毎年一万人を超える人が自動車事故で亡くなっているが、自動車をなくせという主張はない。ぶつかっても絶対に人が死なない自動車を作れという要求もない。私たちは暗黙のうちに、便利さと共に危険も背負っていることを知っている。
 私はこの元店長の主張は正論だと思う。「防災都市」を目指すなら、建築構造のようなハード面だけではなく、むしろ災害が起こった時に被害を最小にするソフト面こそ研究すべきだ。

 平常時とは正反対の行動
 阪神大震災の、特に初期段階で、全壊した家から救出するための重機が足りなかったことや、水道が破壊され消防活動ができなかったことなど機材や設備の準備不足が指摘された。いわばハード面の指摘が多かった。直接の被災者には一見説得力があるかもしれないが、実は本質的な問題ではないように思える。前者は木造住宅の多い地区には電動カッターを、コンクリートの建物が多い地区にはコンクリート破砕機とクレーンを常備したとしても完全に救出できるものではない。交通渋滞で現場まで持って行けない場合もある。後者は防火水槽を東京並み(東京二十三区は人口一万人あたり一七・一五、神戸市八・六三)に作ればある程度解決できそうだが、これも消防車が交通渋滞で動けなければ役に立たない。地震が早朝に起こったにもかかわらず、各所で交通がマヒした。道路が破壊されたせいもあるが、交通規制が全くされなかったせいだ。
 大地震や火事の直後には交通規制が必要だ。『関東大震災』(吉村昭 文春文庫)によると、関東大震災では避難者が家財を積んだ馬車や大八車が被害を大きくした。これらが道路や空き地や橋を埋めつくし、人々の逃げ場を奪い、消防活動を妨げ、しかもその荷物が火災原因になった。江戸時代にも、大火事の被害は避難者が運ぶ荷車による二次災害の方が大きかった。町奉行は荷車の持ち主と車を引いていた者ばかりでなく、名主まで罰すると布告を出している。
 現代の荷車である自動車は、このような危険がある。地震の発生が早朝だったので大きな車火災がなかったが、昼間なら渋滞する車が延焼し大変だったはずだ。
 行政機関が十分に機能を発揮できなかったのは、ソフトの問題だ。交通規制をしなかったのも、兵庫県の自衛隊への出動要請が遅れたのも、海外からのボランティアの受け入れに時間がかかったのも、このような大災害を想定した危機管理システムがなかったからだ。その証拠に、小規模の災害に対しては、既存の行政機関で十分に対応できている。
 阪神大震災のような大災害に匹敵するのは、戦争だ。一昔前、自衛隊が戦争を想定した危機のシミュレーションをひそかに行なったとき、世論は反発した。私たちは、「戦争」という言葉までも毛嫌いし、「戦争が起こったら」などという議論をしなかった。しかし戦争から目を背ければ戦争がなくなるものではない。そのつけが今、回ってきているのではないか。
 学生時代に法学の第一回目の授業で「法の淵源(物事のよってきたるもと)は、現行状態の維持」であると習った。法律は現在の状態を安定的に継続するために作られている。時効は「頑張ってよく逃げ延びました」と与えられるのではない。殺人罪なら十五年、それだけの時間がたてば、殺人を過去のものとして、新たな秩序ができあがる。その「現行状態」を破壊してはならないからだ。
 行政官は法律に基づいて行動する。平時に臨機応変に行動しては、情実に流れてしまうから当然だ。優秀な官僚ほど法律に詳しい。長年、法律を規範とし、平常時の「現行状態の維持」にたけた人に、非常時に臨機応変の行動を求めるのは無理がある。
 大災害時に活躍できるのは、最大の災害である戦争を担当する軍隊だ。ところが日本では自衛隊でさえ、戦争時の危機管理の研究を糾弾される。しかも阪神大震災では、自治体の自衛隊への出動要請が遅れた。出動要請手続きは自衛隊法に明記されているが、戦争並みの大災害を想定していなかった。自治体内の連絡が十分でき、幹部が機能している、地震以外の災害を前提としていたからだ。災害の極致である戦争状態を想定していれば、今回のようなことにはならなかったはずだ。
 さらに大きな問題は、自衛隊が自衛隊法で「天災地変」に対する自主出動が認められているにもかかわらず出動しなかったことだ。東京の自衛隊幹部は阪神大震災を大きな「天災地変」と認識できなかった。
 大災害の初期には、目をつぶらなくてはならないことがたくさん出る。平時に優秀な管理者には、これが難しい。震災後、地元産業界からの緊急の陳情をそれぞれの官庁にしていては大変だろうと、内閣官房に一本化して聞く受け皿が設けられた。神戸商工会議所は担当者を港湾業者などの地元企業へヒヤリングに回らせ、要望をファックスで送った。送りはじめて数日して、内閣官房の担当者が電話してきた。
 「ファックスで陳情を送り続けているが、どいうつもりか。文書の形になっていない」と、気色ばんでいたそうだ。
 「被災地からの郵便はいつ届くかわかりません。ファックスが一番早くて、確実です」と説明したら納得してくれたそうだ。
 私は内閣官房の担当者を気の毒に思う。普段の彼は、送られてくる文書の印章が抜けていないか、日付けは正しいか、ささいなことに気を配るのが仕事だったはずだ。走り書きや、必要項目が抜けている文書が急に山のように届き始めたらパニックになって当然だ。
 地震では九市五町の百三十五万六千戸が断水した。神戸市の水道局の職員が自殺した。原因は過労と報道された。しかし被災地の公務員は、全員が復旧活動で過労状態だった。この方の心にストレスが特に溜ったのは、前年の水不足のせいではないだろうか。平成六年は、全国で水不足だった。神戸市は断水にはならなかったが、上水道の管理者は、いかに水を節約するかで頭を悩ませていたはずだ。ところが、地震によって水道配管が各所で破れてしまった。地震後しばらく、神戸市内の通水率は三〇%程度だったそうだ。ところが、その通水率を確保するだけでも供給側は一〇〇%の量を流さなければならない。漏水によって無駄になっていると分かっていても、流し続けなければならない。前年とは真反対の行動を、しかも人手不足で交代要員も十分でない状態で強いられるのだ。これでは、どんな人でも消耗してしまう。まじめな性格の人ほど、まず精神的に疲れるはずだ。
 避難所のボランティアのリーダーは、区役所に当日の避難者の数を報告しなければならなかった。支給品と弁当を配る資料にするためだ。これを集計した数字が、報道機関にも知らされた。中央区のある中学校のボランティア・リーダーは、
 「区役所は、どうして避難者数を一桁まで知りたがるのか」と怒っていた。この中学校には、ピーク時に千五百人が避難した。教室に入り切れず、校庭で寝泊まりする人もいる、それにも入り切れず全壊した自宅に留まり、支給品と弁当だけをもらいに来る人もいる(最後の人々の中には、「避難所に逃げる体力のない」人もいた。三十歳代の男性は、本人が第一級障害者で、半壊した木造アパートに、別居していた祖父と祖母を引き取って世話をしていた。二人のいたアパートが全壊したためだ。祖父は九十歳という。この人たちは、避難もできなかった)。それだけではない、避難者の消息をたずねて出入りする人たちがいる。概数すら把握が難しい。数える人手もない。結局、適当に端数を付けた多目の人数を申告したそうだ。
 このケースも、私は区役所の職員を批判する気になれない。およそ〇〇人では、報道陣も納得しないだろう。物品を発注する際には、自分が実数を決定しなければならない。長年の習慣から、細かなデータの裏付けなしでの決断するのは難しいはずだ。
 データが揃っていないのに行動するのには勇気がいる。私の場合競馬がそうだ。日本ではスポーツ新聞や競馬新聞が競合し、細かなデータまで知ることができる。ところが外国では、その種の新聞の記事は淡泊でJRAの出馬表と変わらない。しかも外国語だから読んでもよく分からない。とても思いきって馬券を買う気にはなれない。日本のスポーツ紙や競馬新聞で豊富なデータを得たからといって、馬券が当たるわけではない。当たらないのは同じなのに、日本だと馬券が買えるのは、データがあるからだ。
 しかし、なまじデータがあると、細かなところまで気になってしまう。記者が「阪神大震災を記録しつづける会」に投稿手記数を問い合わせてくるが、日々変わるので概数を答えると、端数まで知りたいと言われる。最近は面倒なので、実数を言うようにしている。どうも私たちは、細かなデータにこだわり過ぎるような気がする。
 大災害時には、データが揃わない。首相秘書官は地震の規模が分からないので首相を起こさなかったのだろう。兵庫県の職員は大地震とは分かっていても、自衛隊への出動要請ができなかった。どの程度の被害がどの地域に出、どこへ出動し、どの期間依頼するといった自衛隊法施行令に決められた手続き上の必要事項を決定するデータが全くなかったからである。自衛隊も自主出動を決断するデータがなかった。厳密には、ヘリコプター映像というデータはあったのだが、このような大震災であると認識する想像力がなかった。

 非常時の対応
 大災害の初期の段階には、通水率が三〇%でもポンプ・ステーションは一〇〇%の水を供給しなければならないように、無駄を承知で物資を放出しなければならない。そうしないと、本当に必要な人まで届かないからだ。ずるい人や使われない物資が出ても目をつぶるより仕方がない。ところが優秀な行政官ほど、普段は「最小の費用で最大の福祉」を心がけ、費用対効果を考えるのが身についている。
 次に、データなしで行動する勇気がいる。
 決まった手続きを無視する決断がいる。
 最後に、「単純な平等主義」が通じない。災害時には、処理しなければならない緊急の仕事が一挙に押し寄せる。これらに、無理に優先順位をつけて処理しなければならない。区役所から避難所へ派遣された職員が、食料が避難者の数に足りないため配れず、腐らせた例がある。先に助けを求めて来た人の、全壊した家の下敷きになり生死の分からない肉親の救出が先か、火の手が迫っている住宅の下敷きで助けを求めている人の救出が先か。後になって考えても、結論の出ない問題もある。兵庫県は仮設住宅の入居に、高齢者や障害者を優先させた。ところが、落ち着いてコミュニティづくりの段階になると、これが問題になっている。自宅に近所の人を招いて茶菓のふるまいができる程度の経済力のある人が混じっていないと、自治会はできない。週末にボランティアが来て茶話会を開くのもコミュニティの形成に効果はあるが、普段の日の思いついた時に集まれる方がずっと効果がある。力仕事ができる男手もいる。自然な形のコミュニティができるためには、仮設住宅の住民層を外の社会と似た所得や年齢階層にすべきだったという意見もある。ところが一方では、いずれそのような人たちは早目に仮設住宅を出て行くのだから、弱者優先が正しかったと言う人もいる。私にも結論は出せない。
 しかし、これらはいずれも、行政官に平常時とは真反対の行動を取れということにつながる。しかも一定期間が過ぎると、行政官は費用対効果を冷静に判断し、十分なデータを集めて行動し、決められた手続きを遵守し、世論の「単純平等主義」に答えなければならない。こんな切り替えが、普通の人にできるだろうか。
 あらかじめ大災害が起こった直後は超法規で救援を最優先するという国民の合意を準備し、その対策については、戦争も含めたケーススタディを日頃からしておかなければ、阪神大震災と同じことが繰り返される。
 阪神大震災の教訓として、ハード面で検討することはもちろんある。救難物資や機材、防火水槽の整備や高速道路と鉄道の高架の補強、ライフラインの強化など、国や自治体や企業が準備するべき項目がたくさんある。また市民にも、避難袋の準備をはじめとする自助努力が求められる。そしてこれらは、かなり改善されるだろう。
 ソフト面については、情報ネットワークの整備やボランティア活動のノウハウの必要性などが指摘されている。しかし、見逃されている項目もある。
 直下型大地震が阪神・淡路地区に発生したためにこのような大震災になったのか。他の地区なら、二次災害が防げたのか。私は他の都市で起こったとしても、同じ程度の災害が発生したと思う。自治体をなじっても、解決にならない。国や自治体の首長も、たまたま運悪くそのポストについていただけで、人が違っていてもこの程度の対応しかできなかっただろう。自分がその立場に置かれたとき、非難された行政官のような行動を取らないと言える人が何人いるだろうか。
 

 日本人の「責任」観
 阪神大震災に限らず、もんじゅの事故、一連の企業の不祥事、住専の破綻、薬害エイズ禍、これらすべての問題の原因究明と責任追求があやふやのままだ。同じことが繰り返されても不思議ではない。
 これは私たちの「責任」に対する厳しすぎる意識のせいではないだろうか。広辞苑によると、「責任」は「a人が引き受けてなすべき任務、b法律上の不利益ないしは制裁を負わされること」、とある。しかし、私たちが「責任」について考えるとき、この二番目の意味に偏り過ぎている。しかも、糾弾する人々は、心の奥で当事者に無限責任を要求し、敗者復活戦を認めない。これでは、責任を追及される人は、自ら命を絶つか、社会的に抹殺されて余生を過ごさなければならない。そこで、当事者は自己防衛本能から、見えすいた嘘であっても「記憶にない」としか言えなくなってしまう。私たちの社会には、問題の当事者が正直にそのいきさつを発表する土壌がない。
 ところで、「責任」に対応する英語はRESPONSIBILITYで、RESPONSE(対応)とABILITY(能力)が組み合わさった単語だ。つまり、「責任」とは広辞苑の一番目の意味の「引き受けてなすべき任務」だけではなく、問題が生じたときの対応能力が問われる概念だ。そこには任務が順調に進まなかったり、当事者が間違いを犯すことがあって当然だという前提がある。これは、絶対神の下では人間は不完全なものであるという、キリスト教的な人間理解が基盤になっている。そこで、米国のように当事者が事実を告白すれば罪一等を減じる司法取り引きも成り立つ。
 日本では問題が生じた場合に、世論が責任追及を急ぐあまり原因究明が阻害され、その結果、皮肉にも責任の所在さえあやふやになってしまう。私たちが立場が変われば同じ過ちを犯すかもしれないという視点を持ち、問題の責任者が告白をし、罪に服した後は、社会が受け入れる、という寛容な土壌が生まれなければ、これからも同じ現象が繰り返されるだろう。
 今までの日本の社会には、問題の当事者が、後世の人々の利益のために、勇気を出して自己責任で発言できる受け皿がなかった。私たち日本人は、第二次大戦の原因究明と責任追及さえ十分にできなかった。私たちの「責任」に対する考え方を変えない限り、同じ過ちは繰り返されるだろう。
 

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