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  トウ 閑代 五十九歳 学校職員 西宮市 



 秋山さんは私と職場で机を並べていた。職場からほど遠くないところに、おばあちゃん、夫婦、子供二人、犬一匹と平穏に暮らしていた。地震で彼の家は土石流に呑まれた。十日余りもたって、私は彼の家へ原付を走らせた。行き着くまでにはいくつもの立入禁止の立て札があったが、敢えて無視して走った。
 現場では群がる人々の視線の先に、シャベルカーと動き回る作業着の人の姿があり、土砂の山には家屋の痕跡すら見えない(平成七年三月神戸新聞社編『阪神大震災全記録』の105ページに掲載されている)。
 「秋山さんをご存知の方はありませんか」、私の大声に応えて、秋山さんの長男が現われた。家族と別居して土木関係の仕事をしていたそうだ。
 「お父さんと弟を今、僕が掘り出しました。黒焦げで二人一緒でした。それより前にお母さんや妹、おばあちゃんも……」
 彼の顔をまともに見られないまま私は言った。
 「あなただけでも助かってよかった」
 「おばさん、僕だけ生きていたくなかった」
 私の言葉は、慰めにもならなかった。彼を見たが一滴の涙もない。乾いた瞳が動かなかった。
 後で父の遺品を職場に取りに来たとき、本を手にポーズを取った秋山さんのスナップを渡すと、「写真は少ないから」と大切そうにしまった。
 東京へ出るという彼に、無力な私は、
 「君の大切なお母さんの代わりにはとてもなれないけれど、何でも言ってきて」と、はなむけの一言を言うのみだった。
 平成七年七月の神戸新聞「大震災と人間」シリーズで彼と彼のかけがえのない家族の写真入り記事を見た。頑張ってね。地震でも倒れなかった木のように人生の大地に根付いて生きてほしい。