貼り紙

  男性 四十四歳 元学習塾講師 神戸市灘区 
 



 地震そのものから命は永らえても、その直後から苛酷な生存競争が始まったことは、あまり知られていないようです。全国各地からの救いの手が差し伸べられたのに、その善意が十分に生かされなかった最大の原因は、マスコミの目が、自らの報道しやすい方面に固定されたせいであると、私には思われます。
 主に報道されたのは、まずテレビの中継基地が置かれた避難所、次が仮設住宅です。そこに住まう者だけが被災者であるという印象を全国に与え続け、行政がそれを追認したという気がします。救援物資はもとより、温泉旅館への無料招待、各種ボランティアのサービス、行政官の聞き取りなど、全てが避難所と仮設住宅に身を寄せる人々に限られました。
 左に記すのは、震災から一週間後、私が避難所になっていた複数の学校に貼り付けた抗議文の一部です。
   避難所に入れた者こそ幸なれ!
 全国からの救援物資は、避難所に集中的に届けられ、一部には重複やだぶつきさえ生じている。余震にも耐えられる堅固な建物には暖房が利き、豊富な食糧や毛布に加え、着替えさえ支給されている。のみならず、マスコミのスポットライトが当たるようになった避難所にあっては、被災者の代表然として意見や要望も聞き取ってもらえる。
 一体、避難所へ身を寄せた人達の住居が、どうなっているか。もし聞き取り調査を実施すれば、家屋が全壊、焼失し、文字通りホームレスとなった人の数は、驚くほど少数であることが判明するであろう。
 避難所での陣取りに成功し、とりあえず寝具を敷いて床を占有することで「居住権」並びに「生存権」を確保し、日中は、自宅へ戻って家財道具の整理をしたり、必要な物品を持ち出したりしている。これが、大半の避難民の実態である。避難所の昼と夜、あるいは食事の支給時間と、そうでない時間帯の人口差を調査してみるとよい。
 かたや、半壊した住居に踏み止まり、自助努力を続けている者に対する救済や援助の手は、皆無といってよいほど届いていない。停電のため、冷蔵庫内の食物は腐敗し異臭を放つが、あらゆる食料はおろか、飲料水も入手できない。排便は間に合えば屋外で人目を忍び、間に合わなければ室内でバケツで受けるような暮らしぶり。そのうえ、テレビもラジオもつけられなければ、新聞の配達もなく、情報が遮断されたままである。
 避難所での居住権を持たず、余震に怯えつつ自宅にうずくまっている我々には、何も届きはしない。思い余って、幼子の手を引きつつ方々の学校を回って泣きつくと、例外なく小役人根性丸出しの居丈高な責任者が出て、「ここは『内の人』のための物資しか置いてないんだ」と苦々しい表情で応対した末、野良犬にくれてやるかのように恩着せがましく払い下げてくれるのは、決まって賞味期限が数日前に切れ、堅くなった握り飯か、パサパサになったパン、あるいは古い牛乳である。こういう物乞いですら、何度も足を運ばなければおこぼれにあずかれない。
 一方、各学校の敷地内には、全国各地からの救援物資が所狭しと野積みされ、壁には「今日の夕食のメニュー」と題した貼り紙を出している学校さえある。これら避難所では、救援物資を消費する一方で、できる限り備蓄することに励んでいるようだ。われわれ「外の者」には、捨てるのが惜しいから、腐敗寸前の「食べ残し」を恵んでくれているとしか思えない。食べ物の恨みを知らないのだろうか。
 給水車が到着しても、まずは学校に備蓄するばかりで、バケツを下げた我々は、そばで見ているのみ。学校の備蓄が済んだのでいよいよ我々の番とバケツを差し出せば、「今日の給水は終わりました」との冷淡な応答があるばかりである。大震災のお蔭で生殺与奪の権を得たかに見える、管理職にある教員たちの横柄さに、やり切れなさを覚える。先の大戦では、配給物資を差配する米屋や炭屋などが急に威張り散らし、地域のボスとなったと聞き及ぶが、今回は人の道を説くべき教員であるだけに救いがない。

 ※この貼り紙をした直後から、灘区内の複数の小学校で食料の配給が始まりました。また、運よく、県の幹部に抗議文を渡せたお蔭で、県職員が各避難所をパトロールするとの約束も、県庁よりいただきました。