ため池

  濱岡きみ子 七十四歳 兵庫県津名郡 



 兵庫県南部地震でため池や港湾の損壊は殊に大きかった。農業にしても漁業にしても死活にかかわる被害であった。
 「住む家を建てようにも収入源がないとローンも組めない。植え付けの見通しが立たん」。地震後の五月ごろ、淡路島北部では用水の確保に困っていた。そこで減反を強いられる淡路島の比較的被害の少ない南部から、田植えができない分を廻してほしい、と農林担当者の打ち合わせで要望があった。
 だが、町の係が一存で即答できる問題ではない。淡路にはもともと高い山がないために、昔から用水不足に悩まされてきた。そのため農業用水に関する諺や水争いの記録も多く残されている。ため池の総計は約二万五千といわれるが、その大半は北淡路にあり、大きい川がないため、ため池に依存する。
 私は地震から間もなくため池を中心に見て廻った。被害の大きかった北淡路は山間地が多い。北から南へ山の尾根が切れ目なく一宮町まで続いている。山裾が海岸近くまでのびてきており、その山あいに棚田が開け、ため池は高いところからだんだん低い方へ築かれている。尾崎地区の「井手の尻池」を見たとき、思わず大声を上げてしまった。上池の堤防が底から切れ、その土砂で下池が埋まってしまっていた。
 上池の堤防の高さ約六メートル、上幅約三メートル、堤長百五十五メートル、貯水量一万七千五百立方メートル。国庫補助を受けるために係が確認した修理費は五千六百万円であった。ところがボーリングをして調べると、堤防の底が砂地で液状化していた。堤防の修理において、この底部に四メートルのセメントを入れることになった。修理費はそのために一億二千万円とふくれ上がった。そして下池に入り込んだ上池の土砂も全部取り除くという大掛かりな工事になった。
 井手の尻池のように堤が切れると、すぐに修理というわけにはいかなかった。だが堤防の上に亀裂が走っている池は、一年目に仮工事をして貯水することにした。仮工事でも六割くらいは十分貯水でき、それによって地震の年植え付けをした田主池もあった。住居の損壊を受けた人々は藁をもつかむ思いで用水の確保を考えた。
 液状化によって堤防が欠壊した。また液状化によって田の畦が崩壊した。液状化とは噴砂現象が発生することをいうそうだ。池の損壊は堤防の上部ならよいが、底に近いほうが割れると、どうする術もない。池ののり面に亀裂が入ったところには、黒色の防水シートを敷き応急工事を施したり、植え付けを前にして大変であった。地震から一年数カ月、二年目の植え付けをと、農家の人は奔走して池の修理に取り掛り出した。だが植え付けに間に合わない炎天下の工事が続いていたとき、私もあちこちの現場を見て廻った。
 地震後二年目の夏は格別暑さが厳しかった。池の工事は木陰や風通しの良い所でできる仕事ではないために、真っ黒になって働いていた。「氷の鉢巻をしないと、暑くてやりきれん」、そう言いながら氷の塊の入ったお茶をガブガブ飲んだ。あれだけ冷え切ったものを飲んでもすぐ汗になり、衣類が肌にへばりついていた。
 工事をする人は農家の人が多く、朝夕に自分の家の修理など片付けに追われながら修復工事に出て働いた。地震から井戸水や涌き水のあった所で、ぴたっと水が出なくなった所が多い。主に北淡路の山間地である。ため池は水田耕作に欠かせぬ命の水なのだ。水がないと田植えができない。
 私の知人は一町五反(一・五ヘクタール)を毎年植え付ける大百姓である。二年目に、ようやく三反植え付けができる水が確保できた。ところが予定していた池の水が枯れ、三反の苗田を枯らしてしまった。
 山間地は用水の約八〇%をため池に頼っている。残りは涌き水などであるが、やはり大半はため池によるものである。地震から二年目の植え付けに望みをつないでいたが、池はどうしたことか水漏れがし、水位を回復することができず、自家保有米も確保しにくい状態になった。
 その上、地震で池の底が変わってしまったのか、水がどこからかなくなり、水がたまらない池になってしまった。池の底が液状化しているためか、表面からでは分からないから難儀なことである。北淡路の山間地は棚田が多く、平地のような耕地整理というか圃場整備は難しい。
 個人所有ではなく、数人から数十人で使う「田主組織」の池の修復工事には国庫補助が多い。九六%かそれ以上出るかもしれない。ところが個人所有の池は補助が皆無である。ただし個人池でも公共のために寄付をするなら、田主池のように大半は国庫補助で修理ができる。私の知人は個人池を持っていた。だが家は全壊、再建するために池の修復に何千万円も出せず、とうとう池を埋め、畑地にしてしまった。個人池の水を使っていた水田は、何か方法を考えるということである。
 淡路町のように、ため池が水源の一部にもなっている所ではさらに大きい影響を受けた。地震後一年余りはやりくりができていたが、とうとう三月十一日より時間給水に入った。それから解除までの百三十二日間、生活用水確保の苦闘が続いた。
 だが山間地は井戸水も枯れまだ大変な日が続いている。同じ山の尾根上続きにある仁井地区では、九十九年春の簡易水道の完成をめざし、起工式をあげたばかりである。住民二百八十九戸(八百五十六人)、総工費約三十億円。ため池の損壊がいかに大きい苦しみを人々に与えているか、まだまだ復旧にはほど遠い状態である。