扉を叩く音

  女性 三十七歳 大学非常勤講師 神戸市須磨区 



 「ガチャガチャ、 ガチャガチャ」
 肌寒いある日、黄昏時の静けさが、扉を無理矢理開けようとする激しい音で突然さえぎられた。ドアの外には、隣のアパートに住んでいたおじいさんが立っていた。地震ではアパートの二階が一階を押しつぶし、下に住んでいたおじいさんは数時間の間生き埋めになった。ようやく助けられたが、あちらこちらにけがをして入院となり、その後仮設住宅に移られたと聞いていた。
 「おじいちゃん、どうしたの?」「家がわからへん」、元の家のあったところに戻ってきたのだが、家がないというのだ。地震後アパートは取り壊され、更地になっていた。言いづらいが言わないわけにはいかない。
 「おじいちゃんのお家はね、地震でつぶれちゃったのよ」
 おじいちゃんは無表情の顔で少し頭を傾けて、一生懸命過去をたどっている。
 「わからへん」
 母がすぐにおばあちゃんに電話を入れた。ずっと探しておられたようで、電話の向こうは涙声だったという。すぐに迎えに来られるとのこと。外は木枯しが吹いている。一日中外を歩き回って空腹のはずなのにおじいちゃんは何も食べようとしない。体が暖まるからと熱いお茶を無理矢理出したとき、おじいちゃんの指と触れた。乾いた氷のような感触だった。
 震災前は身なりのきちんとした、清潔好きな方だった。疲れてどこかに腰掛けたのだろうか、泥がズボンのあちこちにこびりついている。地震さえなければ。おじいちゃんの身内のことを思うと胸が締めつけられる思いだった。まもなくおばあちゃんが娘さんの車で到着した。
 「迷惑かけたね。すまんかったね」、安堵感と私達に対するすまなさとが入り交じった複雑な表情のおばあさんの目には光るものがあった。
 「よかったね。おじいちゃん」「すまんかった。すまんかったな」、私達は笑顔で手を振るおじいちゃんを乗せた車が小さくなるまで見送った。
 しかし事はそれでは終らなかった。それから一週間に一度はおじいちゃんが我が家の扉を叩く日々が続いた。元の家のあった場所までは来ることができるのだが、仮設住宅への帰り方は分からないのである。あるときはお孫さんが迎えに来られたり、あるときは母が最寄の駅まで送って行ったり。おじいちゃん一人に周りのものが振り回されている。特におばあちゃんの精神的疲労は激しかった。
 ある日しばらく休憩した後、おじいちゃんは今日は一人で帰れると笑顔で手を振って、我が家を後にした。歩幅は私の三分の一ほどだろうか。杖に体をあずけながら、工事中のでこぼこ道をゆっくりゆっくり駅に向かって行った。その姿が見えなくなるまで見送った。
 我が家の前の公園に建てられた仮設住宅に空き部屋があるとわかり、住み慣れた場所に戻ればおじいちゃんの状態もよくなるかもしれないと、早速おばあちゃんが役所に転宅を申し込みに行った。が、理由も説明されずに断わられたという。公の事情が個人の苦悩に優先されたようで、怒りさえ感じた。
 数カ月して、おじいちゃん達は元の家から徒歩十分程度の公営住宅に移ることができ、これでようやく落ち着くだろうとみんなが胸を撫で下ろしていた。それからしばらくたったある日、おばあちゃんからおじいちゃんがまたいなくなった、そちらに行っていないだろうかとの連絡が入った。我が家に来るのは大抵夕方だが、その日はもう夜の十時を過ぎていた。警察にも連絡を入れて探してもらい、私達も近くを歩き回った。だいぶ暖かくなったとはいえ、まだ夜は冷える。肺炎でも起こさなければいいが。不安の中、時間だけが過ぎていく。もうすぐ日付が変わろうとしていた。
 ようやく警察から、おじいちゃんが地下鉄の終点の駅にいるのが見つかったとの連絡が入った。おばあちゃんは精魂尽き果てた様子だった。
 ここしばらくあの「ガチャガチャ」を聞かない。「おじいちゃん最近来ないね」「本当やね。今度いっぺんお宅まで行ってみるわ」と母。「すまんな、すまんな」を繰り返すときのおじいちゃんのはにかんだような笑顔が、なぜかなつかしい。元気にしていればいいのだが。