人間の心

  山中 敏夫 六十八歳 神戸市兵庫区 



 前回の第二集で、かつてない極限状態の体験の中での、人間の赤裸々な姿のうちの負の部分をかくさず書き残すことも大切なことではないかと問いかけました。当時の阿修羅の時を経て、しばらくしてから床に入ってふと思ったこと、歩きながら浮かんだことなど、折々にメモした紙片には、その負の部分をかなり見ることができます。
 しかし、被災後、二年目が巡りこようとしていても、なお多くの人々が住宅確保の見通しが立たず、仕事を失ったり職場に復帰できないままでいます。これを活字にしてしまうにはまだ時期が早く、そっとして自省の糧にしておきたいと思います。
 復旧がほぼ終わり、少しずつ復興へと進むうちに美談は消えて、それぞれの暮らしを立てるために、自分の殻にこもりつつあります。助け合いより自分自身のことが手一杯になり、大切になってきています。
 あれだけ多くの被災者が悲痛な叫びで訴えた国による個人への救済策は、取り上げられることなく、総選挙での耳ざわりの良い公約もうとましく聞こえました。新しい政権がどうしてくれるかは今後に待つとしても、結局は自分の意志と力で立ち直るより方法がないことを改めて知りました。
 一月十七日の避難所第一夜、湊川中学の階段にたたずみながら聞いた中年の男女の話は、まだ私の脳裏を離れません。「市は税金取ってるんやから、こんなときこそ飯も毛布も水も、きちんと揃えて面倒見てくれんとあかんやないか」と叫ぶ男の声に周囲の男女が「そうや、そうや、ほんまやで」と相槌打つ声。続いて市職員や、学校職員の対応が不十分となじる声……。
 私はいたたまれなくてその場を外しました。あの非常時に十分な行政サービスを期待し、要求する認識に唖然としました。だが、今日も尚その気持でいる人々が居るのではないかと思います。
 今回の都市直下型大地震を教訓にして、より完全で公平な救援態勢とサービスを目指して、すべての自治体で工夫と努力がなされています。しかし、そのすべてに出費を伴うことであるだけに、財政問題に突き当たってしまいます。
 国家財政と地方財政の抜本的な改革には、国民の新たな負担も含まれます。その重さと痛みにスンナリと合意できるのでしょうか。財政と切り放すことのできない政治への無関心、とりわけ各選挙への投票率の低さを見ると、極めて疑問に思えます。
 私はこの復興は「心」の復興、道徳復興を併行して進めなければその実をあげることができないと思います。あのとき助け合い、いたわり、励まし合った美しい人間の心を忘れ、負の部分が顔を出し始め、その力の方が強くなろうとしている状況には危機感を感じます。