セミの声


  川端 充宗  三十三歳 食文化研究家 神戸市灘区 

 平成七年年八月下旬、家族と夏休みに出かけた日のことである。家から数分と歩かないうちに、汗が背中を滝のように下り、日差しが肌に痛いほどであった。まだ、震災からの復旧途上であり、病院やスーパーなどの生活に必要な施設の復旧はかなりの割合で進んでいたが、家族連れが楽しめる遊園地などの娯楽施設は、どうしても後回しになり、せっかくの夏休みを家族と楽しく過ごすには、不便な状況だった。
 ふと、例年に比べ、セミの声が少ないことに気づいた。いつもだと、この時期は灼熱の太陽のもと、暑さをさらに倍増させるようなセミの声が、そこここに響き渡っているはずなのに、どうも様子がおかしい。今年は、鳴き声がまばらである。
 更地が目立つ風景を見て、私は理由を悟った。今年の夏、鳴き声をあげるはずだったセミたちは、この震災で崩れ落ちた家々を取り退け、更地にする際に、地中の住家ごと掘り返され、かつて家だった廃材と共にどこかに運び去られたのだ。また、地中を掘り返されずにいたセミも、この夏によじ登り、鳴き声をあげるべき木がなく、地面に姿を現わした後、太陽に焼かれてしまったのだ。
 私は震災で亡くなった六千人を超える人々に、このセミたちの姿を重ね合わせた。震災が起こらなければセミたちはこの夏に鳴き声を張り上げ、その生をまっとうできたはずだ。セミたちの沈黙。それは亡くなった人々の不本意に人生を中断させられたことへの無言の訴えなのだろうか。
 だが、それでもセミは、また今年(平成八年)もやってきた。セミの地上に出てからの命の短さを思うと、たとえ数を減らしても精一杯ひと夏を鳴き過ごすセミたちに、私は生きる勇気を感じずにはいられない。被災地が完全に復興するには、十年はかかると言われる。都市の復興は、私たち個人の力では到底できないことである。しかし私達が勇気と希望をもって、やりとげねばならない。それには、まずこの悲惨なできごとを忘れずに、教訓にして活かすことだと思う。