移転

  室之園 照雄 七十歳 税理士 神戸市東灘区 
 



 「税金でもこの度の震災被害者には特例法で対処しているのに、建築基準法では特別措置は考えないのか」
 「ノー」
 「地震という不可抗力で全壊したのであって、基礎は残っているんだし現状復旧を認めてほしい」
 「ノー」
 これは平成七年三月二十日、神戸市建築指導課での建築認可交渉の一幕である。
 兵庫区水木通にあった私の事務所は、地震で一階の車庫が押しつぶされ、二階の天井と屋根が道路まで落ちた。床と天井の隙間からは散乱した書類や備品などが助けを求めているようだった。生命線ともいえるフロッピーディスクはどこにと、天井と床の隙間から恐るおそるはいつくばって中に入り、格納引き出しを手探ると、土や埃を被ってはいたが、行儀よく収まっていた。先ずは一安堵。早速、知り合いを通じて解体業者の手配をし、二十一日に作業の手筈を決める。二十二日(日曜日)は雨という予報だったので、濡れては困るものばかりなので強引に作業日を指定した。作業の結果、回収できたのはオフコン、フロッピー・ディスク、関与先決算書綴りなどであり、パソコン、複写機など備品の大半は廃棄せざるを得なかった。
 事務所敷地は、間口四・五メートル、奥行一一メートルであるが、間口一メートルは私道となっており建築面積に入っていなかった。それが今回は四メートル道路とするため、さらに一メートル提供しなければならないという。間口二・五メートルでは事務所は建たない。隣の鉄筋マンションは被害がなく、その前の道路幅は一・八メートルしかない。
 「角地である私の土地の前が四メートル道路になっても、その奥が狭い道路では意味がないではないか」と言っても、頑としてこちらの願いは受け入れてもらえなかった。このマンションは、十年前に違法建築されたものだが、今更どうにもならないと担当者は言う。
 「じゃあ、私も震災前と同じ面積の建物を建てるから目をつぶってほしい」
 「いや、それは困る。通報があれば建築中止命令を出す」ということで物別れとなった。建築を強行すべく業者と交渉を開始し数軒に当たったが、真面目な業者は敬遠し、OKする業者は法外な条件を言う。九月半ばまで建築を思案したが、跡地での再建は遂に断念し、新規に土地を求めることにした。
 探しあぐねること十一件目にして兵庫区内に適地があり、予定価格より坪単価は二十万円ほど高かったが、十一月十七日売買契約する。次は建築の交渉。建築費は坪単価で震災前の約二倍になっている。やむを得ず、鉄骨プレハブに変更して三月に、七月末に完成引渡しという条件でK社と契約を締結した。一応、期日に引渡しを受け入居したが、実質的完成は八月二十七日であった。
 顧みれば、震災後の約一週間は自宅で執務。その後九カ月は知人の会社に同居、その後八カ月間はマンションを借りて執務した。約一年半の間に四回移転をした。移転費用も馬鹿にならなかったが、その間の事務処理も大変だった。
 この世に生を受けて以来、阪神大水害や第二次大戦下の過酷な体験を味わってきたが、この震災では身も心も押しつぶされそうだった。地震発生は未明だったが、これが出勤時間帯とか昼間だったら、人的被害はもっと甚大であったろうと思うと、ぞっとする。