子供会

  枇榔 妙子 三十七歳 主婦 芦屋市 



 震災当時の手帳を見ると「一月十七日十時〜子供会定例会/十三時〜コミスク役員会」との予定が書き込まれています。
 私は、子供会の代表をしていました。一月十七日は年明けて最初の定例会の日であり、新年会を兼ねて茶菓子でもと、前日に芦屋川山手の和菓子店へ主人と二人、散歩気分で出かけました。妙に穏やかで静かな空気でした。夜なぜかなかなか寝つけませんでした。新年の次の代表は決まっている。しかし、その他の役員のこと、引き継いでもらう子供会の会議……。いろいろなことを考えながら寝入った瞬間、地震は起きたのです。
 「何これ。何これ」、叫んだけれど声になりません。私は家具に埋まり、一瞬子供の声も聞こえなくなりました。しばらくたって主人の声、そして子供の声。しばらくして電気がつきました。近所の友達が「今日は学校お休みよね」などと、また子供会の人も「今日は定例会ないよね」などと聞いてきます。まだお互いに何が起きたか認識できないでいました。
 早朝、「しばらく県外に行っています」「子供会のスケート大会はどうなるの」など、次々に連絡が入ります。そのときはまだ水道やガスが何カ月も止まってしまうとは夢にも思っていませんでした。被害の深刻さが伝えられるにつけ、愕然としました。子供会の会員宅にはケガ人こそありませんでしたが、家が全壊、半壊したところは八軒ありました。
 校区には社宅が大変多く、震災後大勢の子供達が転出しました。子供会の会員宅も例外ではなく、中心となっていた子供達が多く転校してしまいました。全ての行事が白紙の状態で、次年度への引き継ぎを決める例会が出来たのは三月十四日でした。何とか子供達の元気が出る行事をと願い、次の代表の方へとバトンを預けましたが、会員数は半分近く減り、活動できる場所も避難所であったり、仮設が建ったりで、充分にはできませんでした。
 それに加え、ここ数年、子供の数が減ってきており、それでなくとも子供会の代表者選びが難しくなっていたのが今年(平成八年)三月、本当に誰も引き継いでくれる者がなく、このままでは休会もやむを得ぬ状態となってしまいました。折りしも子供会発足十年目のことです。皆自分のことで精一杯で、他の子供の世話どころではないのかもしれません。また、PTAの役員などと比べるとメリットがないと思われるのかもしれません。競争社会の中ではただ、楽しく遊ぶだけの子供会より、塾やスポーツクラブの方が魅力があるのかもしれません。でも私達は震災を経験し、地域のつながりの大切さを知ったのではなかったでしょうか。そんな思いから、今年度再び、子供会の代表を私が引き受けることになりました。私自身も昨年より家計を助けるためにとパートに出ており、また主人の母の入院、子供の中学入学と、あわただしい日々を送っておりますが、無理のない範囲でと毎月第四土曜日に、学校の運動場や会議室を借りての活動や廃品回収、地域清掃などの活動をしています。
 本年度の会員数は三十四名と減少しましたが、カレー作りや蛍狩り、八月の夏祭のために復興のシンボルである「火の鳥みこし」の制作などをしました。今まだ空き地が残り、工事のトラックの行き交うこの町ですが、そんな中でも心だけは豊かに育ってくれる子供達をあたたかく支えていければと願っています。今はまだ、来年以降どうなるのか見えてきませんが、理解してくださる方と心を合わせて、子供達に楽しい空間を与え続けて行きたいと思います。