法律

  守田 基師子 五十三歳 話し方教室主宰 加古川市 



 震災から二年が過ぎようとしている。震災以来、わが家の生活は大きく変わってしまった。住み慣れた神戸を離れ、友人宅を借りての加古川での仮住居も一年八カ月になる。
 あの大震災で激震地の三宮に住んでいた私は、大勢の人々と恐怖の時を共有した。寒空の中、暖をとることさえできず、暗闇の中を数時間さ迷った。人としての尊厳さえもかなぐり捨て、必死で生きる戦いをした。
 ふと我に返り、病気療養中の娘を抱え、東京の大学に息子を出している我が身を考えると、果たしてこれからの生活を支えていけるのか、不安はどんどん大きくなるばかりだった。
 気を取り直し情報と娘の医薬品を手にするため、日に二回は区役所に足を運んだ。そして、これからの生活再建のために、せめて半壊の罹災証明をもらおうとした。
 友人知人の証明書の内容も確かめていたので、半壊証明をもらえるものと思っていた。しかし、結果は一部損壊。この証明書は我々の苦境を全く無視した、ただの紙切れにすぎなかった。一部損壊では、税金の特典もなく、娘の医療費の免除、息子の大学授業料の減額、住居取得に際しての金利の優遇など、何一つ認められない。手を差しのべてくれたのは友人たちだけであった。
 わが家よりもっと軽い損害で、見舞金や住居を手にした人がいるのを現実に知っているだけに、怒りを覚える。今後の生活のせめてもの支えに、と役所に何度も足を運んだ。自分の生活を恥を忍んで洗いざらい申し上げ、幾度も頭を下げた。そのとき言われた言葉を私は一生忘れることはできない。
 半壊証明の請願に対して、「お気持はわかります。しかし法律を曲げるわけにはいきません。どうしても、と言われるのでしたら、あなたが法律を変えてください」と、言われた。
 我が耳を疑った。これが真面目に税金を払ってきた市民に言うことであろうか。その瞬間怒りを越えて、私の中にある大きな決心が生まれた。ようし、いつの日か、きっと言われたように多くの人と手を取りあって、弱い人を見下している日本の政治を変えてやる。
 今、私は大阪で女性を政治の世界へ送り込むためのネットワークづくりやバックアップの仕方を具体的に学んでいる。議会の仕組み、財政の見方、市民の責任、議員の役割なども学んでいる。途中、市会議員に立候補し当選した仲間も誕生している。
 さらに昨年十一月には、十人の仲間と共に、女性と政治をつなぐ会「リプル」を設立した。名前のように、政界に新しいさざ波を起こし、近い将来、会から議員を誕生させたい。
 被災地では今でも様々な問題を抱えながら、暮らしている人が多くいる。住専問題もそうだが、怒りを覚えたら声を大にして物言わぬ限り、行政は国民を見下しているだけである。今こそ、政治家の質と能力を国民が見抜く時である。昨年の衆議院選挙の投票率は、戦後最低で五九・六九%だった。そのうえ、落ちた人がいつのまにか生き返っているという不快な現象。そろそろ我々も怒り始めてもいいのではないだろうか。もう待つのに疲れ切った今、より積極的に自らこの手で候補者を選び、政界に送り出す時がきたような気がする。
 物言わぬ人、物言えぬ人、その人々を平気で切り捨てる行政を決して許してはならない。震災で苦しんでいる我々だからこそ、それを真剣に考え取り組んでみたい。
 前回の記録の中でアトピーの娘のことにも触れたが、今、その娘の状況を本音で書ける心境になった。三年前からのアトピーから始まった症状は震災の大きな体験も重なり、心の中まで侵されている。親子共々言い知れぬ痛みと苦しみの連続であった。その中で、辛さに勝る人のぬくもりを感じてきた。
 罹災証明を貰う際の役所で「あなたが法律を変えてください」と言われたことをバネにして大きく前進しようと、様々なことに取り組んでいる。
 神戸が、日本が、真の豊かさと人間らしさを持つように、これからも、汗を流し行動し続けたい。娘の回復を願い、多くの人々と前進していきたいと思う。