阪神大震災の市民像

            高森 一徳



 第一章 三合目               

 「阪神大震災を記録しつづける会」には三回の募集で、六五四編の手記が寄せられた。
  第一次(平成七年三月十五日締切)  二四〇編
  第二次(平成七年十月三十一日締切) 二二九編
  第三次(平成八年十月三十一日締切) 一八五編
 投稿者の年齢は五歳から八十六歳まで。国籍も日本以外に、アイルランド、イギリス、オランダ、カナダ、韓国、中国、朝鮮、トルコ、バングラデシュ、フィリピン、フランス、米国。住所も避難所、被災地はもとより、国内の各県や、インドネシア、シンガポール、マレーシア、米国と幅広い。
 私たちはこの活動を十年間は続けたい。

 第一次応募手記から七十三編を選び『阪神大震災 被災した私たちの記録』(朝日ソノラマ刊)を、第二次応募手記からは六十八編を選び『阪神大震災 もう一年、まだ一年』(神戸新聞総合出版センター刊)を出版した。第一巻は約三千部、第二巻は約千五百部が書店で売れ、それ以外に各一千冊を各方面に寄贈した。
 会では、匿名を希望する投稿者を除き、手記の要約を含むリストを公開しており、それが取材記者たちの情報源の一つになっている。地震から二年目の平成九年一月十七日までの一週間、新聞各社とテレビ各局は震災関連の企画記事や番組を競って制作し、私たちの会の投稿者たちも大勢取り上げられた。
 一方、週刊誌や月刊誌は震災関連記事に大きなスペースを割かなかった。読者の興味が売り上げに直結するので、被災地以外で風化の進む阪神大震災の記事は取り上げにくかったのだろうか。
 会を発足させた頃、私はこの震災は経済大国の一地方に起こった災害だから「ものの復興」は容易だと考えた。しかし、その復興から取り残される人々や肉親を失った人々の「心の復興」は困難だろうと思った。
 地震から二年が過ぎた。震災は現在も進行中だ。私は間違っていた。集まった手記と身近に見聞きする事実は、被災地は「ものの復興」さえ困難だと教えている。しかも、地震が原因と思っていた災害の多くが、すでに平成七年一月十六日(地震の前日)の段階で問題をはらんでいた。地震は日本のどこの都市もが抱えている問題を、阪神・淡路地区に前倒しで集中して示しているに過ぎない。私たちの「豊かな生活」は、意外にもろい基盤の上に成り立っている。
 三回の投稿手記からこの震災の教訓をすべて引き出すのは早すぎる。だが、都市直下型の大地震は、次にいつどこを襲ってもおかしくない。そのとき、「どうして阪神大震災の経験を生かせなかったのか」と言われることが沢山あるだろう。ここでは、そのような事項をいくらかでも少なくするために、会の活動を通じて見えてきたものをまとめてみた。
 (以下、○の中の数字は募集次数を示し、手記投稿者の年齢、職業、住所は投稿時)

第2章「安藤衣子さんの二年」