語り合える人

  岡田 幸代 三十三歳 主婦 米国シカゴ 



 阪神大震災から一年半後の夏休みに、神戸に帰国した。地震の翌日の一月十八日に神戸を離れて以来、初めての帰国だった。倒壊した木造住居、傾いたマンション、原形をとどめないビル、いたる所がめちゃめちゃに落ちたJRの高架、黒煙に覆われた神戸の町。これが最後に見た神戸の光景だった。
 あれから一年半の月日が流れ、復旧工事も進み、人々も戻ってきて、ようやく神戸にも活気が戻ったようだった。久し振りに帰った私は、六甲山の景色と光り輝く海をみて、ほっと安心した。
 しかし、なぜか以前よりも、山も海も近くに見える。「どうしてかな。あっ、そうだ、景色を遮る高い建物がなくなっているからだ」。一見、元に戻ったような神戸の町だが、まだまだ地震による傷跡は深く残っているように思えた。
 私は大学のときに渡米して以来、十四年間アメリカで暮らしている。二人目の子供を、里帰り出産するために神戸の実家に帰国しているときに地震が起こった。私の育った町は東灘区御影石町四丁目。家屋の倒壊率が八十九パーセントもあった被害のひどかった地区だ。
 三歳の娘を連れての帰国は、何よりも楽しみにしていたのに、まさか世界のトップニュースになるほどの大地震が神戸を襲うとは、そして一瞬にして平和な町を無残な姿に変えてしまうとは、一体誰が予想できただろうか。
 息子を出産して五十日目に地震は起こった。大きな地鳴りと共に激しい上下左右の激震に襲われ、隣に寝ていた娘が私にしがみつき、「キャー、こわい、こわい」と悲鳴を上げた。私は何が何だかわからないまま、「なにこれ」と叫んだ。「この世の終わりがついにきた」とも思った。
 大激震の中、生後間もない息子を手探りで探した。「布団の中にいない」真っ暗闇の中、必死で捜した。襖の横まで飛ばされていたが、畳の上だったので無事だった。両手に二人を抱えて丸くなっていた。揺れは収まるどころかますます激しくなり、縦揺れの次は横揺れ。随分長く感じた。
 少し収まったとき、二階から「大丈夫」と、転がるように部屋から飛び出てきた母の叫び声がした。「大丈夫」と声を出すのが精一杯。二階で寝ていた母と兄、そして散歩中だった父も奇跡的に助かり、家族全員の無事を確認した。
 幸いなことに実家の建物は、一年前に建て替えていたので、倒壊は免れた。しかし家の中は足の踏み場もないほどめちゃくちゃに物が壊れ、ガラスが飛び散り、家具や電気製品などすべて倒れていた。電気、ガス、水道、そして電話までも遮断され、生後間もない子供を抱えての被災は、あまりにも大変だった。
 その日の夜、神戸を離れることを決めた。翌朝五時に出発したが予想以上の渋滞で、やっとの思いで西宮市を通過できたのが二十二時間後だった。道中擦れ違った他府県の救助の車、自衛隊の物々しい車の列、見たこともないような光景は、まるで映画の一シーンを見ているようにさえ思えた。
 私達は東京を経由して、一月二十八日にシカゴに戻った。両親と兄はしばらく大阪のマンションにいたが三月には神戸に戻った。シカゴに戻った私達は、地震の後遺症にしばらく悩まされた。三歳の娘は毎晩のように悪夢にうなされ、泣き叫び、暗闇をとても怖がった。寝つきが悪く、乳児の世話と重なった疲労のため、随分辛い日々を過ごした。
 シカゴでもしばらくは地震の話題で持ちきりだったが、一カ月も過ぎると地震の話題は消え去り、平常の生活に戻った。地震なんてなかったかのような、平和な生活だ。しかし地震の後遺症から抜け出せていなかった私は、あの暗闇での恐怖、激震、そして戦場のような場面が頭の中をグルグル回って、精神的ショックは続いていた。
 シカゴに戻って一番辛かったことは地震の恐怖を分かち合える人、語り合える人、共通の体験をした人が側にいなかったことだ。体験しないとわからない恐怖というものは、どんなに言葉で伝えようとしても、なかなか伝わるものではない。私だって、あのサンフランシスコの大地震の時、テレビでずっと見ていたが地震による恐怖心や後遺症まではわからなかった。
 今回、実際に自分が経験して学んだことは、たくさんあったように思う。しかしテレビで避難所生活やテント生活をされている方の姿を見ると胸が痛くなる思いがした。私の苦労なんて苦労とは言えないだろう。私でさえこれだけの後遺症があるのだから、あの方々が負った心の傷はきっと私の何十倍もあるだろう。そう思うと、その方々が早く安らげるときが来てほしいと祈らずにはいられなかった。
 私の父は、長い間海外赴任をしていた。兄もずっとアメリカにいたし、私も長期間アメリカ生活なので、家族全員が神戸に揃うのは、四年に一度のペースだった。その全員が何年かぶりに神戸に揃っているときに、それも百年に一度の大地震が起ころうとは、不思議な感じがする。
 私も神戸っ子の一人としてあの強烈な大震災を体験できたこと、そして神戸の方々と共通の体験を持てた事は良かったように思う。あの貴重な体験を忘れずに、今後の人生に生かしていきたいと思う。
 一年半前は大地震。そしてこの夏休みは、集団食中毒騒ぎ。次に帰国するときは何もないことを願う。