階段

  河畑 憲明 五十歳 歯科医 神戸市須磨区 



 平成七年十二月の「マル免」(地震後、被災者の治療費が免除になった)の期限が過ぎたら患者さんが激減するだろうと友人が言った。年明けの一月、患者数は予言の通りになった。平成八年、私の診療所では、患者数は平均すると地震前の三割減となった。このことはほかの診療科にも共通した現象だったようだ。
 地震では、生命に直接かかわりのない歯科は重要視されなかった。緊急通達も医師会、薬剤師会には出されたが、歯科医師会へは付け足しのごとく連絡が回ってきたとのうわさを耳にした。もっとも瓦礫の下で焼死された人々の身元判断には大いに歯科医が活躍し、このことはかつての日航機墜落事故を思い起こさせる。
 まだ神戸に元の活気はもどっていない。復興の掛け声と、土木建築の作業はいたる所で耳にし、目にする。しかし、再起のための物も金も活力も失った人々は、ひっそりとその日暮らしをしている。ピークを過ぎた日本経済の下で、神戸は全ての面でしんどいところに立たされている。
 一歩裏へ回ると空地が目立つ。人々の心も空地のように妙にスカスカした状態にあるのではないだろうか。全てが不安で、確かな手ごたえのある物も運動(動き)も伝わってこない。そして、掛け声だけが空しく聞こえてくる。
 この気分は世の中の動きと関連していると思う。経済成長はもう頭打ちと感じている人々が多いから、憂うつな気分になるのも当然かもしれない。日本はバブル経済で絶頂期を早く迎えすぎてしまったのだ。
 階段を最上階にまで昇ってしまえば、後は降りるより仕方ないのだが、皆降りたくない。降りたくないのなら最上階をもっと高い所に設定すればよいのだが、現在の社会環境では、次のステップが見出せない。そこで、および腰でそろそろと降りようとする。しかし下りはやはり誰でも怖い。階段を降りなければならない局面に立たされている日本社会と、神戸の町の再生へ向けての心と物の上昇指向とは、全く相反する動きということになる。
 この一年間、精神的には突っ張って、一見、活力を取り戻したようにふるまう者もいた。が、震災の後始末が長引きそうだということにようやく気付きはじめて、これから先の長丁場に諦めの気持を持つ者、その場その場の対応でなげやりにしのいでいく者、自分の残された人生を勘定してみて、どうしようもない気分に陥る者が確実に増えているのではないか。
 一方、よそから神戸の町並の再建のために来ている労働者は働き盛りで若い。また、二、三十歳代の年齢でこれからそれぞれの仕事の中核を担おうとする人々は、神戸という町に生活の糧を求めなくても他の場所へ移ってもよい。神戸に長く住んでいた人々と、そうでない人々との間にはっきりとした精神的な壁ができつつある。