春を待つ

  安藤 衣子 五十二歳 パート勤務 明石市 



 絶望的な体験をしてしまった私には、未来が何も見えません。主人の事が忘れられません。悲しみの中に、自分の身体も沈めることができたなら、どんなにか楽になれるのにと思いました。
 生かされた命を有効に使い、主人との三十一年間に別れを告げる手段として、私は自分史を書くことにしました。一年間の期日に、なかなか前に進まず何度やめようと思ったことか。でも自分で考え始めたことなので、やめることはできません。長い一年でしたが、やっと七月に書きあげました。おかげで、主人のことが忘れられず、悲しみばかりだった心の中に変化が起きました。あの春を待つ、楽しい感情が時々感じられるようになりました。
 でも、また地震の当日の気持ちに戻ることもあります。もう自立できないのではないかと、不安を感じました。いつまでたっても前に進めない、自分に苛立ちと焦りを感じました。
 やはり人間仕事をしなければならないと強く思いました。仕事は人間を造り上げ、仕事は人間を助けてくれると思います。体の不調を考えれば、仕事に行くのは無理でしたが、このままでは元気になれるはずがありません。仕事にすがりたいと思いました。
 でも五十一歳で、はたして仕事が見つかるだろうか心配でした。でも心配することは、なかったのです。求人広告に私の希望する条件の仕事があり、すぐに面接に行き合格致しました。体の事を考えると自信がありません。でもやるしかない、そのときはそのときと腹を括り、十二月二十一日から仕事に行くことになりました。
 三十一年間主人と共に仕事をしてきました。人に使われることは初めてです。私は思いました。今迄の自分ではいけない。仕事の実績や経験の全てを捨てなければ働くことはできないと思い、決断致しました。これが私にとって良かったようです。
 女の職場は特にうるさく、大変です。腹を括って出勤したのが正解のようでした。何を言われても素直に「ハイ、ハイ」と返事をしながら、「主人にこんな良い返事を私はしたことがあっただろうか」と、思いました。自然界で生かされている自分を新たに感じる時、私は一人ぼっちではないと思います。悲しむことも寂しがることもないのです。やはり仕事は人間を強くしてくれます。体の不調も少し良くなりました。やさしい先輩達と仲良く働ける今日この頃に感謝をしています。この頃では、仕事も少し楽しくなってきました。
 八月十二日息子に男の赤ちゃんが誕生致しました。一人亡くして、一人誕生です。命の続くことをうれしく思います。