前進

  橋口 美和子 三十歳 主婦 神戸市長田区 



 「阪神大震災を記録しつづける会」の手記募集に応募するのもこれで三度目になる。今回は私達家族のその後を記したい。
 震災時、主人は機動隊員として人命救助と遺体収容の任務で、一週間近く帰らなかった。私の実家は皆無事だったが、家は全壊した。祖母は家がペチャンコになったが、数時間後、父に無事救出された。
 数カ月経つと実家も祖母の家も更地になった。父は飲食業のサラリーマンだったので、生活は問題なかった。母は婦人服の縫製を自営していた。しかし、震災直後から高級婦人服の需要は減り経営も苦しくなった。引き取った祖母は、時々びっくりするようなとぼけたことを言ったり、急に子供のようにすねたり、泣いたりした。ひ孫になる私の長男を、ライバル視したりすることもあった。
 定年退職前だった父と、自営は難しいと判断した母、我家を失ってボケかけた祖母、それぞれの事情が私達家族の転機となった。全壊した祖母の家は、兵庫区の上沢通にあり、人通りが多い。祖母はその場所へ帰れることをいつも望んでいたが、家を新築する力はない。父は定年後、小さな飲食店でもしたいと思っていて、母も賛成だった。が、それに適した土地がなかった。両親が資金を用意して祖母の土地に店を建て祖母はその二階に住む事で話はまとまった。
 平成七年九月二十二日、上沢通八丁目でお食事処「あさくら」がオープンした。家の食事そのままのメニューでスタートした。始めてすぐは、県外からの震災復旧関係者で賑わった。皆口を揃えて神戸の人のたくましさに感心すると言ってくださった。それからは家が全壊した地元の方々が当時の話をしたり、休憩していかれた。今は建築関係の人、帰ってこられた地元の方々にかわいがっていただいている。店内で知りあったお客様同士で仕事のやり取りをされたり、家づくりのアドバイスを聞く人もいらっしゃる。
 私と妹も店を手伝い、少しでもお客様に喜んでいただけると嬉しく、毎日充実感を味わっている。祖母もしっかり元に戻った。妹の主人は神戸の復興に伴う主要道路等を公団と作っている。安全第一で震災の教訓を生かしたいと言っている。私の主人と言えば、今も機動隊で黙々と、訓練をしている。体力保持のため夜はしばしばランニングをする。震災後は兵庫県災害救援専門ボランティアに志願し、救急救助ボランティアの分担を担当させていただくことになった。
 それぞれの道を私達は少しずつ前進し始めた。今、私達に何ができるかを一人ひとり考えながら助け合い協力している。この形が、これからの神戸の縮小版なのかもしれない。家族だから互いにしている事は違っても助け合うのは当り前だけど、この町で皆がいろんな分野で自分を最大限に活かし、協力し、譲り合えば、互いの復興へと前進できるのではないだろうか。