地蔵盆

  薄木 智子 三十六歳 兼業主婦 神戸市須磨区 



 「お母さん、最近テレビ局の人を見なくなったね」
 小学三年生の娘が神戸市長田区の復興元気村パラールでの買い物帰りに言った。そういえば震災一周年の記念行事などが行なわれたのを境に、それまで毎日といってよいほど見かけたマスコミ関係の人々を見なくなった。
 「テレビにもあんまり映らへんし、これで地震のこと終わりになったんかなあ」
 やはり子供も大人も同じようなことを感じているのだ。震災直後から自宅が再建されるまでの間、住んでいたところはパラールのすぐ近くで震災の被害のひどかった所だ。震災直後この町は一体どうなるのだろうと茫然としたものだったが、この一年間で嘘のようにきれいになっていった。
 「こんなにきれいになってから見た人は地震で本当にひどかったんわからへんね」「ほんまやね」親子でふと震災のときのことを思い出して話すことがある。被災者の心に残った傷は町がきれいになっても治るものではない。きれいになったとはいっても、あたり一面更地が増えていくのは、すごく空しいことだ。
 地震後一年三カ月目にやっと自宅が再建できた。本当だったら三カ月前に完成していたはずだったのだが、再建ラッシュのピークに重なり完成が遅れた。完成といっても水道工事が遅れていたので引っ越し後一週間、震災直後のようにポリタンクのお世話になる生活が続いた。震災後、水のありがたさを痛感したがまた、水の出ない生活をすることになろうとは予想もしなかった。
 全壊した前の家は木造二階建瓦葺住宅だったが、今度の家は地震に強いようにと軽量鉄骨パネル構造という工法にしたので、だいぶ以前と趣が変わった。もう一つ変わったのは、狭くなったことだ。もともと三LDKの家が建っていた敷地に今度は二LDKの家を建てた。一階にLDKとバス・トイレ、二階に和室と洋室の二部屋を造った。親子四人が住むのに広いとは言えないが狭いながらも楽しい我家となれば何も言うことはない。
 しかし家の周りは都市計画に入っていることもあって更地のままである。子供達も遊び場がなくなってしまった。この震災で大人たちも頑張っているが、その陰で子供達もストレスにも負けず明るく頑張っている。
 だんだんと新しい家での生活にも慣れてきたが、主人と二人、震災前から営んでいるケミカルシューズの縫製業の方は、少し活発になったかと思うとすぐに暇になってしまうなど、まだまだ不安定な状態が続いている。家が建つと当然のことながら支払いが待っている。我家は数年前に前の家のローンが終わったばかりで、二重ローンにこそなっていないが、震災で使えなくなった家具や電化製品を買い替えたり、修理したりと出費がかさむ。震災前から景気のよい仕事ではなかったので、蓄えなどほとんどなかった。この震災で全部使ってしまったので、文字通りゼロからの出発である。
 夏休みも終わりに近づいた八月二十三日の地蔵盆。我家では、子供が生まれてから、毎年欠かすことなく親子でお参りをしてきた。今年は子供たちはもう小学三年生と一年生になり、親とは別に二人で大きな紙袋を下げて、走って行った。年に一回のことだけに、子供の成長がよく分かる。
 主人と二人で路地の角で待っていると、あちらこちらから子供達がお線香を片手に飛び出してくる。お地蔵さんの数も子供の数も震災前より少なくなったが、ふくらんだ紙袋をうれしそうにのぞいている子供達の元気良さはいつもと何も変わらない。町も子供達も震災から一年七カ月が過ぎて、明るさを取り戻しつつある。主人がお地蔵さんの提灯の下の子供達を眺めながら「皆、ええ顔しとるなあ。人は明るさを忘れたらあかんなあ」と、つぶやいていた。
 震災後、何か一つできごとがあるたびに、前にはそれほど感じなかったことをしみじみ感じるようになった気がする。そして、「よしっ、仕事頑張ろっ」と自分に声をかけるようになった。昨年より私自身にも明るさが戻ったように思う。昨年より今年、今年より来年、少しずつ何事も焦らずにマイペースで頑張っていこうと思っている。