店子

  青木 加代子 四十九歳 弁当店経営 西宮市 



 平成七年九月より西宮の再開発地の借店舗で、お弁当の持ち帰りと宅配の店を再開しました。最初は売り上げはあまり期待できないものの、頑張れば伸びていくだろうと考えました。が、その考えは甘く地震前に営業していた店での売り上げの三割程度しかなく、今もその状態が続いています。
 あの新大阪での路上の販売(第二集参照)のほうが売り上げはありました。商売をする者には今までの場所と違うということは致命的なことです。ましてここは区画整理、再開発地域のため、被災した人たちは戻ってこず、借りている店舗のある市場には全く人通りがありません。営業している店も数えるほどです。そんな場所ですので仕方がないかもしれませんが、ぐちばかり言ってはおられません。今日も主人は宅配のメニュー配りに走り回っております。
 娘の高校入試があと二週間に迫った二月、我家が完成し西宮へ戻ってくることができました。大阪から西宮へ毎日通わなくてよくなったことだけでも楽になりました。そして娘も公立高校に合格し、一段落と気分一新のつもりで三月末、四国から淡路島へと一泊旅行にでかけました。雨の合間の素晴らしい天気に恵まれ、海の香りと景色を満喫し、久しぶりに幸せな気分にひたりました。お風呂上がりの車中はラベンダーの香りでいっぱいでした。本当に生きていてよかったと、つくづく思いました。
 しかし旅行から帰ると厳しい現実が待っています。家が建ったとはいえ二重ローン、滅失した借家店舗には改装したときの融資の残があり、リースの返済もあります。生活の背骨である仕事が七割も落ち込んでいて、どうして返していくことができるのでしょうか。
 借家店舗の跡地には八階建てのマンションが建ちます。大家は三十年近く営業していた店子のことは一切考えず、優先権があるといっても、店子達がとても借りることの出来ない店舗ができます。まして今までは、店舗付住宅だったのが店舗だけです。住まいと両方などとても借りられるわけがありません。借家人の中には、はり、マッサージをされている方もおられ、マンションの中のワンルームを借りたいと申し入れをされましたが、営業には貸せないとのこと。大家は何も感じないのでしょうか。大家の角の店舗が(二軒を一軒にしたため柱が少なかった)他の店舗を引っ張った形でつぶれたというのに、白アリで柱がボロボロになっていたというのに、三十年来、修理もしたことがないというのに、地震前から建て替えも考えていたというのに……。
 解体は公費ででき、そのうえ店子は出ていってくれる。こんな都合の良いことは大家にはないでしょう。一体、罹災都市借地借家臨時処理法とは何なのか。現実には建物が建っても、三十年近く営業をしてきた者が、死活問題にもかかわらず、戻ってこられない。これは大変なことです。市は建物が新しく建つ前に、適切な指導をするべきだと思います。
 今の北口の借店舗も再開発が目の前に迫ってきています。公団が用意する第二の仮設店舗に行くことになるのか、それとも元の場所にできるマンションの店舗を借りることになるのか、全く分かりません。分かっているのは、来年(平成九年)四月には据置き期間の終わる住宅ローンが始まり、二年後には中小企業金融公庫の融資の返済が始まることだけです。