ガードマン

  男性 五十歳 警備員 神戸市中央区 



 あれからもう二年がきます。私はアルバイトを二人雇い、妻と神戸市内の小さな寿司屋を経営していました。地震後に残ったのは某銀行からの五百万円の借金だけでした。店は壊れても、金は返さねばなりません。銀行からはやいのやいのと毎日のように電話がかかってきました。家に帰るのが億劫になりました。国民年金、保険、ガス代、水道代、電気代と次から次へと請求書が重なります。電話も度々止められました。貯金がないところへ借金があり、そこへ数々の請求書がきます。
 両親は妹の住む名古屋へ疎開しました。妻は実家へ帰り、高校一年生だった一人息子は学校をやめてよその寿司屋に住みこみました。ということで、私は地震のお蔭で単身赴任者のようになりました。二階建ての木造の築十五、六年の古家に、ひとりになりました。話し相手、相談相手はありません。部屋が四つもあったのですが、その三つは住人がいなくなりました。一つの例外は、野良猫の子供が一匹遊びに来るようになったことだけです。
 お見舞いをもらったのは名古屋の妹からの二十万円だけでした。こういうと変でしょうが、知人、友人からは「ガンバレ」という言葉だけでした。本当に身をもって地震を体験していないから言える言葉なんでしょう。しかし正直言って、私はあの当時、言葉より金が心底欲しかった。言葉など聞き飽きて耳にタコができていました。
 唯一の救いは持ち家だったので家賃がいらなかったことでした。私は大阪、京都の飲食関係を何十社と面接に走り回りました。しかし、四十九という年齢のせいかうまくいきませんでした。今まで曲りなりにも一国一城の主だったのが使われる方に回るのは、屈辱以外の何ものでもありません。五十に手の届く年齢で、自分より若い人の下につくことはできませんでした。
 はたと困って求人雑誌を見ていると、「警備員募集、日給九千円」とありました。一日九千円はいい。私は直ぐに電話しました。ガードマンなら一日中一人ぽつんと道端で立っているだけでいい。あまり縦横の人間関係に煩わされなくていい。そう思ったのでした。それに日払の給料が一番助かります。
 初めてガードマンになったのは八月一日でした。それまで四日間の研修を受けました。学生時代以来の机に座っての講義は、眠気との闘いでした。
 端から見るのと実際に立つのとではえらい違いです。普通の人はガードマンを、道端に立っているだけで金をもらえていい商売だと思うことでしょう。私は真夏に初めて路上に立ちました。暑いのにヘルメットに制服着用。最初は慣れないため足にきます。一日が終わると、まるでボクシングの最終ラウンドのようにふらふらになってしまいます。立っているのが精一杯。何度やめようと思ったことでしょう。
 しかし生きて行かなければなりません。借金を払わなければなりません。それに請求書の支払いもあります。あれからもう二年目がこようとしています。ガードマン生活も二度目の冬がきました。