リーダー

  木村 修司 四十三歳 小学校教諭 西宮市 



 車で職場へ向かう私にとって、震災直後の道路状況は最悪であった。いつもの道が倒壊建物で通行できなくなり、一方通行の道路を逆進しないと職場へ行けなくなってしまった。
 校務分掌でも生徒指導担当者という、全校的な安全指導を指揮している自分にとって、それは大きな心の葛藤であった。もし、一方通行を逆進して事故を起こしてしまったら、自分の立場はどうなるのだろうかと考え、結局その道に出られずに止まったままだった。
 しばらくしてたくさんの車がやってきた。全車、一方通行の道路なのに逆進している。その光景を見たとき、なぜかとても心が安らいだ。「赤信号、みんなで渡れば恐くはない」。そして、いつの間にかその車集団の中に、自分も入ったのである。
 理性よりも、本能的な行動が優先している自分を発見し、とても恐れおののいた。なぜなら自分だけでなく、多くの他の人も同じような心の状態におかれているのではないかと思ったからである。もし、信号が壊れていたとき、お互いの車はどのように動くのだろうか。もし、今までの全ての交通ルールを、お互いに守れなくなったら、どうなるのだろうか。考え出すと悪い方にばかり考えてしまう。しかし、自分はもう、全体のルールに従うのではなくて、自分で判断し、行動し、その責任は全て自分に返るという個人ルールの世界に入ってしまったのである。
 職場に到着し、体育館へ行くと、避難者の方たちでいっぱいだった。そんな状況の中で、まず何から手をつけて良いのかを校長に聞いても、「ちょっと待っててほしい」という返事ばかりで先に進まない。結局、校長も職員も状況に対して手探りの毎日が始まった。
 例えば避難者の方々からの、様々な問い合わせに対しても、個人レベルで対応せざるを得ず、そのためにたくさんの矛盾を引き起こしてしまった。せっかくの差し入れの弁当を腐らせてしまったり、避難者の方の呼び出しもうまくいかなかったりと、さんざんであった。
 やがて避難者集団の中でルールが決められ始めた。トイレ清掃の割り当てや、炊事当番、電話当番や配給物資の時間、水汲みの仕方など、次から次へと一つの集団が生活を維持するためにルールが決められたのである。
 そのルール自体は、平等性があり、よく考えられていたが、ルールの運用の面で非常におかしな面があった。その最たるものは、《声の大きな人》が主導権を取り、全体を動かしているということである。この《声の大きな人》とは、自分達こそ最大の被害者という立場で、全てをきりもりしていくボス的存在の人達である。職員室にしょっちゅう入ってきては、自分たちの言い分を通そうとする。そして、それが通らないときには校長の首を押さえつけ、体を振り回すという実力行動の連続である。教育公務員という公僕ではあるが、校長も職員も毎日が大変だった。
 やがて集団の中で生活委員会が組織されて、ボス的な人ではなく、全体の人たちの中から選出された委員の人達が、新しいリーダーとなり、以後は、大きな問題もなく、民主的な運営がなされていった。
 これら一連のできごとから思うことは、次のことである。大きな災害が起こった場合の、さまざまなマニュアルや取り決め事項(ルール)が、各分野で必要であることは、もちろんであるが、最も必要なことは、いざというときに先頭に立って、各分野を引っ張っていけるリーダーを地域や各分野で育てていくことではないだろうか。結局、そうした人達こそが、災害時におけるルールになるのだろうと思う。地域や自治体や国は、例えば「災害援助士」といった公認の立場を与え、バックアップしてはどうだろう。