名曲の定期便

  大森 和哉 三十五歳 中学校教諭 三重県上野市 



 「本日は思いもかけぬお訪ねを受け、妻ともども感激しております。退職と共にいつのまにか去っていった老兵のことを心配していただき、今も涙がにじんできております。何十万という被災者の街に全国から受けているご支援は終生忘れることはありません。わざわざ私にいただいた心からの励ましを胸に、一日も早く立ち直り、皆様のご厚情にお応えしたく、思っております」
 学校の郵便受けにこの手紙が着いたのは、阪神・淡路大地震から一カ月目のことでした。差出人は青木勉さんという長田区に住む男性でした。
 この手紙が着いた翌朝、校長先生が職員の朝礼で読み上げた時に沸き起こった職員の拍手は、その後学級で各担任が生徒に伝えた時にも起こりました。手紙は、「校内暴力」と「いじめ」で心身共に疲れ切った私達職員と生徒達に、心の豊かさとやさしさを久し振りに思い出させてくれました。
 青木さんと私たちの学校との関わりは大変古いのですが、ほとんどの教師が青木さんを知りませんでした。私達教師が、青木さんのことを知ったのは恥ずかしい話なのですが、職場の同僚からではなく、新聞に掲載された小さな記事からでした。
 「名曲の定期便」小さな記事にはそんな題名が付いていました。青木さんは本校の生徒とのふとした出会いから毎年本校に名曲のレコードを送ってくれていたのです。この事実を知っていたのは音楽科の教師のみで、私達他教科の教師は全然そんな事実を知らなかったのです。そして、音楽科の教師すらも、転勤に次ぐ転勤で、青木さんとはどういう人物なのか、どうして毎年レコードを送ってくれているのかを知らずに生徒に聞かせていたのでした。
 しかし、震災で一番被害を受けた長田地区に住む青木さんのことを最初に気遣ったのは音楽科の教師でした。どんな人物かは知らないけれど、毎年送られてくるレコードの差出人の住所をかろうじて覚えていました。多分、送られてくる度に礼状くらいは送っていたのでしょう。
 生徒会の顧問の先生が中心になって青木さんの消息を探し始めたのは震災後しばらくたってからでした。やっと長田高校に無事に避難しているとつきとめましたが、私達には長田区の実情がよくわかりません。
 何か恩返しがしたい。生徒の間から申し出があった時、私達教師は心から喜びました。さっそく教師の代表がボランティアとして神戸に出向くことになりました。生徒会が集めた募金で青木さんにカーディガンを買って持っていくことにしたのです。もっと気の利いたことができたのかもしれませんが、私達教師も、そして生徒もそれくらいしか思い浮かばなかったのです。
 でも、私達は反対に青木さんからの礼状でなぐさめられたのです。私の学校は色々な問題を持っています。世間からは荒れた学校と見られ、実際、毎日生徒が起こす問題行動で私達教師はてんてこまいしています。しかし、掲示板に貼った青木さんからの礼状は今もイタズラされることなく生徒の目に触れ続けているのです。そのことで、私達教師は生徒を信用し、生徒を愛し続けることができるのです。励ますつもりが励まされ、私達は震災という極めて特殊な状況から人間の優しさを教えてもらいました。