再建

  女性 四十八歳 中学校教諭 神戸市東灘区 
 



 一九九六年八月。マスコミも仮設住宅についてぽつりぽつりと取り上げている程度である。久しぶりで親しい友人が集まって話をする機会があった。話題はもう震災についての辛いことは全く出ず、家族のこと趣味のこと海外旅行のことなどが中心であった。
 全壊という大きな被害を受けた知人の中にも、一戸建てだった人たちは新しい家に落ち着き、着々と元の生活を取り戻し、震災は過去のこととなったように見える。昨年八月更地に囲まれた賃貸マンションに引っ越してきて以来、周囲は絶えず工事の音がし、あちらでもこちらでも、一戸建ての家はどんどん再建されていく。マンションでも早いところはもうでき上がったと聞く。
 しかし、私はといえば、まだ震災の後片づけのまっただ中である。娘と二人で暮らしていたマンションは全壊し、解体だけは早くできたものの、再建後の配分をめぐり、話し合いの会議すら開かれずに四カ月が経とうとしている。再建決議にすらたどり着けず、解体直後とあまり変わりがない状態である。誰かがものを言えば人間関係すら壊れかねないような一触即発の雰囲気で日々が過ぎる。
 いつまでも再建ができなければ、実家に預ってもらっている荷物を引き取れないので、別のマンションでもよいからローンを組んで買おうかと新聞広告に目を通してみる。しかし、荷物を引き取れる広さを確保しようと思えばローンの大きさに押しつぶされそうである。家も大切であるが、娘はこれから大学に行かせなければならない。お金がいる。だからといって荷物がこのままではいけないだろうし……。
 全壊して出入口がなくなったマンションから、スカイポーターを使って荷物を取り出せたときにはあんなに嬉しかったのに、今となっては悩みの種である。以前のような荷物がなくても、今は何とか暮らしているのが不思議である。ピアノや応接セット、そして予備のふとん、シーツ、タオルや衣類など無くても最低のものがあれば暮らしていける。食器棚がないので食器も家族の人数分だけ、しかもお子様ランチなどに使う区分けしたお皿などで済ませている。狭い賃貸住宅に仮住まいするのにはこれがすっきりとしてよい。震災前の生活とはすっかり変わってしまった。
 いつまでも嘆いていてはいけないことはわかっているが、一部損壊や百万単位の金額の修繕で済んだような人達から「みんな被災者なんです。それぞれに心の傷を受けているけれどみんな前向きに生きているんですよ」と言われると、今の私の辛さの何がわかってそんなことが言えるのかと寂しくもなり、腹立たしくもなる。
 震災直後はわけも分からず、かえって何とかなると明るい気持ちでいられた。しかし、見通しが立たず行き詰まってしまった今、震災は過去のことになったのではなく、まさに現在のこととして感じられる。