ひな飾り

  岩本 民子 四十五歳 神戸市垂水区 



 平成七年九月に私は、地震当時世話になっていた西区の実家(一部損壊)を離れ、五歳の娘と二人で垂水区内の県営住宅に引っ越しました。地震の半年ほど前に県住の空家を申し込んでいたのですが、「いつ斡旋が開始になるか、めどがつかない」という返事でした。その頃、公営住宅の斡旋は、すべてストップになっており、申し込んだ団地の住宅は七人待ちでした。それで私は、地震で壊れた家具を購入しようと必死でパートで働き、すべて支払いをすませていました。
 そうした矢先の平成七年七月中旬に県住の事務所より、被災者でなおかつ震災以前に申し込みされていた人は優先的に斡旋するという連絡の封書が届きました。私は、うれしい半面、金銭的には困ったなと思い、回答の期日まで思案ばかりしていました。なぜなら、貯金を使い果たして、手元にはお金はわずかしかなく、今引っ越しすれば生活ができない、娘と二人どうして毎日やっていけばよいか途方にくれるからです。
 が、一方今引っ越しせず修理が出来ていない実家にこのままおれば、余震、台風、梅雨のたびに、おびえながら暮らさなければならない。また、桃の節句には、地震で床の間がいたんでいるので、おひな様が飾れない。幸い押し入れに入れてあったおひな様の大きなダンボール箱三つには、全然傷はありませんでした。
 私は、決断を迫られました。そして最後には、娘の気持に任せようと思いました。娘に聞くと、「おひなさんの七段飾りを飾りたいから、引っ越しする」と言いました。
 私は、その言葉に、「よし、わかった。苦労承知でもう一度、苦労の山を、二人で乗り越えてみよう」と、引っ越しする決心をしました。
 引っ越し直後は、食生活にも困りました。私の体の具合が悪く、二カ月ぐらいパート勤めを休んだので、よけい苦しかったのです。娘に充分な、食べ物も買ってやれませんでした。お昼は、おにぎりや、インスタントラーメンばかりでしたが、それでも娘は、「ごちそうさま」と言ってくれました。
 しかも、冬に入り、娘は胃腸炎による脱水症、肺炎を起こし、半年に二回入院しました。
 それでも私が頑張っている姿を見て、実家の母や兄弟が助けてくれました。実家の近所が農家なので、野菜や果物などのいただき物を持って来てくれたり、子供におもちゃや、絵本、服、お菓子などを買ってくれました。その上、保育園への通園、病院の通院なども車で応援してくれています。
 同居している時はあまり感じなかった、親、兄弟の、ありがたさが、改めてしみじみとわかり感謝しています。おかげで、平成八年三月三日には、娘の七段飾りの、おひな様が、立派に飾れました。飾り終えて初めて、五人ばやしの小道具に何一つ傷がなかったのに驚きました。この、おひな様は、病死した父の最後の贈り物です。父の仏壇のある床の間には飾れなかったけど、父も天国で喜んでいると思います。