秋の雲

          仁木 都比子 八十二歳 神戸市中央区

 あの時のインドの老夫婦が今どうしておられるのかと、気にかかっております。
 地震から一時間余り経ち、夜は明けきっておりました。全壊した磯辺住宅アパートを後に、私は寒さと痛さに泣けてきそうなのをジット堪え、アパートの人達におくれない様に市庁舎をめざして必死に避難しました。
 なにも考える余裕もなく、ただ、ただ、恐い、恐い、どうしよう、どうしようと、パジャマの上にセーターを着た姿で歩きました。重要なものは何一つ持ち出さなかったのですが、エプロンを片手にさげていました。
 地震よ、おさまって、どうかおさまってと祈っておりました。
 市庁舎の中は人でゴッタがえしていました。被災者は二階の広い部屋に上がるようにと言う声で、ゾロゾロと多くの人が階段に向かいました。階段の両側に毛布、布団をしいて座っている方、くるまって寝ていられる方々がいました。二階に上りきった吹き抜けのような所に、インド人の御夫婦がいました。ご主人は毛布にくるまり目を閉じて座り、奥さんは肩をすくめうなだれていたのです。
 とっさに、「奥さん寒いでしょう一緒に中に入りましょう」と言いましたが、黙って首をふるばかりでした。「御免ね」と言いながら私は多くの人々がいる部屋に入ったのでした。その後は何もわかりません。
 私自身が意識を失ってしまったのです。何時間か後に救急車で神戸中央市民病院の救急治療室に運ばれたそうです。はっきり気がつきました時は丸二日目でした。救って頂いたのです。急性心不全と右肩鎖骨が折れていたのです。ほんとうに救われたのです。どんなに感謝しても言葉には言い尽くせません。悲しい人が一杯いらっしゃる中で私は有難いことでございました。
 あの震災から九カ月が過ぎました。今でも食器棚、本箱のガラスも入れておりません。手がつけられないのです。
 七月二十八日に、鎖骨の手術で入れた金属を二本やっと取ってくださり、もう大丈夫と先生に言っていただきました。ほっといたしました。心不全はその後毎月お薬をもらい、隔月に診察して頂いております。あの時の先生、看護婦さん、親族の者達、友達、本当に多くの方々のお世話になって、つくづく幸せだったと、かみしめております。
 震災以前より致しておりました、中央福祉会館の中にありますデイケア・サービスに、九月より磯上ボランティアBグループの一員として、寮母さんのお手伝いに復帰しました。しかし福祉会館も到るところ修理中です。
 高齢者の方々、車椅子でいらっしゃる方、おなじみの方達にお会いし、ああ、あんた元気でいてくれたん、心配してたんよと、反対に心にかけて下さった人達。ああ、生きていてよかった。生かせてくださって有難う。元気にならねばと胸がいっぱいでございます。
 自分の病気にかまけてしまいましたが、あの時のインド人の老夫婦が今どこにおられるのか、心が痛みます。ゆるして下さい。お元気でいて下さいと祈りつつ、何とか捜してあげたいと、インドの方を見かけるたびに声をかけている私でございます。
 ほんとうに大好きな神戸よ、早くもとの神戸になって下さい。
 美しき山よ、海よ、空よ、神戸の街をもとにもどしてと願いつつ、あれから九カ月が過ぎて参りました。
 俳句に託して

 春待たで 地震におびえつ 友逝けり
 シクラメン 詰所に活けし 人誰ぞ
 倒れたる 家を見下ろし 鯉幟
 長梅雨や 仮設の友の くらしふと
 秋冷えや 水買ふくせの まだつづき
 あの時の インドの夫婦の 秋の雲


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