歪んだ信号灯

       愛川 弘 六十六歳 電鉄会社勤務  尼崎市御園

 私は六十六歳になるが、こんなに大きな地震に遭った経験はなかった。ただ、幼い頃に地震で道が真っ直ぐに歩けないような思いをした記憶はある。道路一面に落ちた電線が大きくたわたわと音をたてていた。だが、この度の地震はそんなものではなかった。地面が盛り上がり、左右に揺れ、立っておれないのだから。
 私はその時、神戸高速鉄道の花隈駅に勤務していた。前夜、終車を送って二階の寝室に上がり、翌日に備えて仮眠に入った。翌朝四時三十分、モーニングコールで起こされた。制服をつけ駅務室に降り、駅構内の電源スイッチを入れた。昨夜からの深い眠りについていた駅全体が、生き物の目覚めのように躍動を始めた。各蛍光灯が音をたてる。改札機が唸る。券売機が奏でる。私は洗面を終え、駅のシャッターを上げた。
 シャッターのきしる音とともに、暗い眠りの町が見えてきた。外は真っ暗で、JRの高架に沿って国道2号線が走っている。今は車も人も通らない。その時冷たい風が吹き込んで来た。身震いをして駅務室に飛び込み、電熱のスイッチを入れた。
 一番電車が入ってくるまでまだ時間がある。先程湯沸かしポットの笛が鳴っていた。インスタントコーヒーをいれる。これで寒さも和らぐ。時計を見る。五時五分になろうとしていた。
 その時、地下道を押してくる電車の轟音と強風が改札の前にふきあがってきた。吊り下がっている電気時計が大きく軋む。今朝の始発電車の降車客は五人であった。彼らは集札機に切符を通し、2号線の暗闇の道へ出ていく。私は駅務室から彼らの後ろ姿を見送っていた。
 その時、何か変な思いがした。二十メートル程西側に交通信号がある。今は青である。その青色が押しつぶしたように少し歪んで見えた。私は目を擦った。やはり歪んでいた。昨夜十二時過ぎに寝室へ上がり、今朝は四時三十分の起床である。睡眠不足がこのように見せているのかもしれない、と思い信号灯を見ないようにした。
 もうすぐ次の電車が来る頃だろう。その時である。電車の進行してくる音ではなく、地下全体を膨らませるだけ膨らませ押し上げるような轟音がした。その音が足下に届いた時、私は放り上げられていた。次に左右に振り回される。何事が起こったのか分からなかった。私は立っておられず、駅務室の床に座ってしまった。
 そのうち、駅構内の電灯総てが消えた。すぐに非常灯がともる。地下のプラットホームの蛍光灯が次々と落下している音が聞こえた。駅務室の棚の物も次々と落ちてくる。券売機の上からも券紙の箱が落ちる。揺れはなかなか収まらない。私は駅務室の固定された机の脚を握り、頭を卓の下に入れ、その激しい揺れに耐えた。駅裏の木造住宅が壊れているのだろう。地響きと共に崩れ落ちる音が伝わってきた。
 今朝に限って夜明けが遅い。恐る恐る2号線の方を見る。信号灯は消えていない。今は赤信号が点っていた。その赤も、やはり歪んで見えた。やっと夜が白み出した。改札前に寝衣のままの人々が集まってくる。皆の顔は恐怖で引きつっていた。
 この付近では太い鉄筋の柱を持っている駅が一番安全と思えるのだろう。頭に鍋を被っている婦人がいる。布団を被っている人もいた。避難してきた男性の持っていた携帯ラジオから地震のニュースが流れた。ニュースのなかで三宮付近の電車軌道が捲くれ上がり歪み落下し、運行の見込みはないと報じられていた。
 すっかり夜があけ空が明るくなり出した頃、何処から集まってきたのか大勢の人達が公衆電話に並びだした。だが、電話が通じないと言う。電話線も切れているのだろうか? 私も家が心配で電話をしようと駅の公衆電話にカードを入れたが通じなかった。結局コインでないと電話できないのが分かった。その間にも間断なく大きく揺れる。
 駅を閉めて総合駅へ戻るよう指令電話がきた。私は駅を閉め、地下道を通って総合駅の新開地まで歩いた。非常灯の弱い光りの中、濡れた枕木の上を歩く。突然、轟音と共に耳の鼓膜が破れんばかりに外圧がかかり、四角い隧道が丸く膨らんだように歪み、大きく揺れた。天井からも横の壁からも地下水が噴きつけてきた。
 私は無事に総合駅まで行き着けますようにと祈りながら、濡れて光っている枕木を踏み、歩を進めた。またも轟音と共に激しく揺れた。


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