定期券

          山林 久人 四十六歳 警備員  神戸市垂水区

 〈ゴオーッ! ドン! グラグラ……〉
 地鳴りと共に音をきしませて、縦とも横とも判別できない激しい大揺れが、私を突き撥ねました。私は四つん這いになって、あたりに注意を集中しました。
 私は三宮阪急百貨店の保安係に勤務しておりました。あの日の朝、主任と私の二名は、百貨店内外の定時巡回のため、早朝五時に起床し、五時半に通常順路通り地下一階の食品売場を廻って、一階へ通じる踊り場の階段を上がり、婦人雑貨売場の通路に出て来た時、あの阪神大震災に遭遇してしまったのです。
 「だいじょうぶか!」
 主任の困惑した声が聞こえました。
 「だいじょうぶです」
 体を取り囲むように婦人用品や陳列器具が落下しただけで、私は無傷でした。主任も、体を周囲に少しぶつけただけで、いつも通りの元気な様子でした。しかし、私は直感で、この地震は「ただでは済まないな」と思いました。
 主任と私は周囲の状況から、このまま一階を突き抜けて表の道路にはとても出られないと判断して、とりあえず保安室へ戻ろうと地下の食料品売場に降り立って、びっくりしました。
 薄く赤みを帯びた非常灯に照らされた光景は、メチャクチャでした。
 「なんだ、これ」
 主任が、思わず声をあげたほどです。
 天井や壁の到るところに亀裂が走り、壁が剥れて落下してるわ、スプリンクラーのパイプの継ぎ目が切断されて滝のように水が叩きつけてくるわ、陳列商品は八方に飛び散るわ、生け簀の魚は足場のないほど崩れ散った床の間で跳ねているわで、もうグチャグチャでした。
 大きな余震を避けるため避難しようとしましたが、保安室へ通じるドアがいびつになって、こじ開けることもできません。唯一表に通じる納品用の北階段をこじ開けて、やっと表に脱出でき、ほっとしました。たぶん地震から十二、三分後のことだと思います。
 表へ出ると、意外と静かでした。まだ暗く周囲の街灯も停電しているので、私達は懐中電灯を頼りに、西側方向にある生田神社へ向けて歩き始めました。少しずつ人影も見え声が聞こえてきました。ヘッドライトをつけた車も二台ほど見えました。
 阪急電車とJRの高架下の店舗で、二、三人がバタバタしていました。
 「怪我人がいるみたいだよ」
 「ガスくさいぞ、どこかで漏れてるぞ!」
 「あっちの方、大変よ」
 「ラジオが淡路島が震源地で震度6とか言ってたよ」そんな声が聞こえました。
 薄暗い細道から広い通りに出て生田神社に近づくと、すでに人影も多く不安そうにたたずむ人、着の身着のまま裸足のままで身を縮めてる人がいました。遠くで火災があるらしくサイレンの音がします。空が赤らみ騒々しくなってきました。
 私と主任は大きな石の門柱が倒れた生田神社を後にして、百貨店に引き返すことにしました。この時点では大きな地震ではあっても、どの程度の規模なのか分かりようがありませんでした。
 夜が明け始め、脱出した表扉の前へ来てびっくりしました。
 なんと私達が脱出した扉のところから西側を残して、東側北部の百貨店の壁が崩れ落ちており道路を塞いでいます。埋まった瓦礫の高いところでは五メートルはあったと思います。百貨店東側の映画館の五階屋上から縦に割れて、西側まで二メートルほどの幅の壁が全部北側に崩れて、バスやタクシー乗り場は完全に瓦礫の下になり、道路の向う側の商店の通路まで瓦礫の山が遮断していました。
 保安室へは、通用口から鍵をバールでこじあけて入りました。私と主任は、互いに助かって良かったなあ、としみじみつぶやき、部屋にあった朝食用のコッペパン一つを二人で分けあって食べました。
 それからが大変、電話が使えない、いや公衆電話は大丈夫、といってもすぐに人だかり……。
 百貨店の東に面したショーウインドが破れていたので、商品を店内に運びました。重要な部屋には鎖で適当に鍵を掛けて廻りました。「戦災にも耐えた三宮阪急百貨店とガード下」ということで二、三人のパートさんや社員さんも出勤して来ました。それこそてんやわんやの大騒ぎが始まりました。
 昼の十二時ごろ、館内の巡回で若い女性の遺体を見ました。一番電車でスキーから帰ってきて、タクシー乗り場へ出た時に瓦礫が直撃したようです。百貨店の外からは瓦礫の山に隠れて見えなかったのですが、内側から発見されました。スキーウエアのまま横たわっておられました。あとで定期券から二十三歳と知人が教えてくれました。
 もう十分遅く地震が発生していたら、私と主任はこの瓦礫の下で同じように潰れていたことでしょう。いつも巡回で通る所でしたから。私は何度も手を合わせ黙とうを捧げました。
 数日後始まった建物の解体工事中に、百貨店の北側の瓦礫の下からさらに三人の遺体が発見されました。遺体が発見される度に工事が停止し、ビニールシートにくるまれたご遺体に全員が黙とうしました。
 三宮阪急百貨店は取り壊され、社員さんは他店へ異動しました。


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