消火器

          岡田 久美 二十六歳 主婦  大阪市

 神戸に嫁いで来て三年になろうとする寒い冬の朝だった。一瞬の揺れが、それまでの平凡な毎日をあっと言う間に奪い去ってしまった。
 「地震だ!」。わたしはとっさに布団を頭からかぶった。その瞬間、夫が私の上に覆いかぶさってきた。ベッドが左右に振られるほど激しい揺れだった。私は堅く目を閉じていた。マンションに住んでいると小さな地震には体が慣れてしまうものだ。でもこれはいつもとは違う。長い、長すぎる。いつになったら終わるのだろうと不安になる。でも目を開けた時、まさかこんな事になっていようとは想像もできなかった。最初に窓を開けて見たのは、夜が明ける前の真っ暗な町。停電。
 そして、どこかで火の手が上がった。表に飛び出し、何が起こったのかさえ理解できず呆然としている人々。ざわめきの中から聞こえる母親を呼ぶ子供の声。
 私たちは手探りでパジャマの上から服をはおり、懐中電灯を捜し当て、マンションの階段へ出て義母のいる夫の実家のほうを見た。私達のマンションは兵庫区上沢通で、母は松本通に住んでいた。
 母の家はほとんど被害がなかった。家の中も食器が割れてテレビが台から落ちてはいたが、片付ける所などほとんど見当たらなかった。
 「こんな時に何だけど、これを機に同居やな。マンションの中使える物ないわ」
 近くに部屋を借り、つかず離れずお互い気ままにやってきたけれど、そろそろ一緒に住もうかと言っていた矢先の地震だった。火事はまだ遠くの出来事だった。消防車がきてちゃんと消してくれると思っていた。二軒東にあった古い木造のアパートが崩れて通りを塞いでしまっていて、母ががれきの向こうの親しかった人達を心配して外に出ていた。誰かのラジオが震源は淡路島の辺りで震度6を記録したと伝えている。
 その時、アパートのがれきの上から白い煙が見えた。
 「ねえ、あれなに」。私は夫の袖を引つ張った。夫はすぐにがれきの山に登り、「消火器持って来い!」と叫んだ。母が二階から消火器を持って降りて来たが小さくて間に合わない。燃え広がっては大変だ。ほかの家の消火器を探したけれど何処にもなかった。そうしている間にも火はじりじりと大きくなっていく。蛇口を開いても水が出ない。断水してるんだ。何人かが協力してお風呂の残り湯をバケツで集め始めた。近所の家を周り、隣の丁のマンションへも一軒一軒声をかけた。
 「火事なんです。協力お願いします」。メガネがないのに何処をどう走ったのかよく覚えていない。ただ、火を消さなきゃ。そう思って水を運んだ。一本北側の路地に小さな井戸があって、持ち主がそこを開放してくれた。近所に住んでいた男の子の同級生らしい子達も手伝ってくれた。なんとか、なんとかこのままくい止めれば消防が来てくれると信じてた。
 でもいつまでたっても消防自動車は現れず、一人の消防士がメガホンで危ないから避難して下さいと繰り返すばかりだった。
 その後ろには、まるで他人事のように遠巻きに見ている見知った顔があった。それでも私たちは水を探し、バケツを持って走った。守りたかった。なんとしても家を守りたかった。それ以外のことは何も頭に浮かばなかった。みんなの努力で何時間か一進一退が続いた。陽はもう高く上がっているはずなのに、空はどんよりと曇っていた。このまま雨が降ってくれたらと、心の中で祈った。
 けれど無情にも風が吹いた。それまで無風に近かったのに。強い風にあおられて火はあっと言う間に大きな炎となり、がれきの山を包んで行く。 東風に変わると、がれきがなだれ込んだ向かいの家にも火が燃え移った。木造家屋ばかりのこの一帯は広がり出すと手がつけられない。最初に燃え移った家が焼け落ちると、炎は勢いを増し隣にも移り始めた。なんとかしないと母の家に火が移るのは時間の問題だ。それまで一緒にバケツリレーをしていた母に夫が貴重品をもって出たかと聞いた。隣の家はもう無理だ。母の家との間はわずかしかない。
 みんなが母の家の屋根や壁に水をかけて炎を防ごうとしてくれた。私たちはせめて家の中に炎が入るのを防ごうと、全ての雨戸を閉めた。ああ、でも火がついた。隣の爆風で台所の窓が割れた。神様。祈るような気持ちで姿の見えない夫の名前を呼んだ。夫は最後の最後まで家を守ろうと炎と戦った。びしょぬれになり、消火器の泡をかぶっても、それでも最後までそこを離れなかった。とうとう二階にも火がついた。もうだめだ。
 次々に燃え移った家が焼け落ちて行く。母の家も炎に包まれた。もうどうすることもできず、ただ三人で焼け落ちる母の家を見つめていた。せめて最後まで見届けたかった。これがあの日の朝私の見たすべての光景。心に焼き付いた火の恐怖。
 あの悪夢のような一月十七日の朝から九カ月が過ぎた。
 今は多くの人々の暖かい心に支えられて親子三人、大阪で何とか暮らしている。地震直後の状況を思えば、こんなに人間らしい生活ができることは本当にありがたいことだ。贅沢を言ってはキリがないこともよく分かっている。だけど、帰るべき自分の家がないというのは辛いことだ。心のより所がないというか、言葉にしがたいほど空しい思いだ。私も一つ一つ丹念に選んだ花嫁道具のほとんどを失った。それはそれは悲しかったけれど、母は家を、すべてを失ったのだ。そして、その家は夫の育った家でもあるのだ。
 だから私だけは気をしっかり持たなければと、つらいという言葉は言うまい、愚痴は決してこぼすまいと心に誓ってここまできた。そんな私でも夜になると一人、声もたてずに泣くことがある。帰りたい。早く神戸に帰りたいと。
 最近では、全国ネットのテレビで震災のニュースが取り上げられることも少なくなった。次から次へと起こる事件や事故に関心は移り、もう震災のことは片付いてしまったかのようだ。ものすごいスピードで世の中は動いているのに、復興への歩みはなんて遅いんだろう。本当の意味での復興は、人々が自分たちの生活を取り戻すこと。それにはまだまだ時間がかかるだろうと思う。
 私たちだけが取り残されて行くような焦燥感にさいなまれながら、それでも負けるもんかって自分を勇気づける。何とかして元の生活を取り戻したいから。幸せになりたいから。だから、忘れないでほしい神戸を。みんなの心が元気になるまで、ずっとずっと見守っていてほしい。


[ 目次へ | ホームページへ ]