コスモス

          岡本博子 五十九歳 主婦  神戸市東灘区

 「裕くーん、彩ちゃーん」、今夜も呼んでみた。賑わった武庫川の花火大会も終わり、窓の外の風はすっかり冷たくなった。川向こうの家々の明かりも暗くなっている。
 あの地震から八カ月余、日数にして二百五十日、どんなに念じても尊い二人の孫の命はもう帰ってこない。私は東灘区森南町で被災し、現在は阪急の宝塚南口駅近くのマンションに住んでいる。
 ギシギシという音を夢うつつに聞いた直後、ドーンという音と共にすべての物が破壊されてしまった。二階で寝ていたのだが、傾いた窓の外にすぐ庭があった。突然義理の息子の大きな声で、「大丈夫ですか。裕と彩ちゃんはもうだめです」と、はっきりと聞こえた。
 やっと外に這い出し、唖然とした。同じ屋敷内の若夫婦の木造の家が崩れ落ち、娘と二人の孫は瓦礫の下敷きになっていた。すぐに近所の方にも手伝って頂き、足を挟まれていた娘を木切れや石をてこにしてようやく助け出した。二人の孫を救出したときは、まだ体温はあった。裕は頭にコブが出ていたが、彩はきれいな顔のままだった。ただ胸で変な音がしていた。
 「早く病院へ」と言ったが、息子は頭を横に振った。どの病院も被害を受け、そんな余裕はないと言う。土のついた毛布にくるめて、庭石の上に寝かせた。茫然とたたずんでいた娘が泣きながら言った。
 「もう、幼稚園へも塾へも行かなくてよいのね」
 あんなに懸命に二人の成長を楽しみにしてきたのに、点滴も一度もせず逝くなんて。私が代われるものならと悔し涙が溢れた。
 四世代八人家族で、何とか順調に楽しく過ごしていた。とりあえず残った屋根の下に二人を運び、息子は暮れから骨折して動けぬ姑を助け出し、続いて近所の人を見舞ったり、通じない電話を待ちきれず親戚知人に連絡に走った。
 主人はだんだんと硬直していく遺体にすがり、「おじいちゃんより先に逝くんか」と目を泣き腫らした。前日、母屋の二階に来て窓を開け、「おばあちゃん、旅館みたいに良い部屋ね。庭にはお花も咲いているし」と、眺めて降りて行った二人の大人びた様子を思い出す。
 若い二人はまるで子供のことなど忘れたかのように、私たちの食料、水、寝具などの調達に必死だった。驚いた知人がおにぎりとお餅を差し入れにきてくれ、少し落ち着いた。
 余震に怯えながら一夜を明かし、翌朝、息子の里へ二人を預け、私たちは妹の家に一カ月避難させてもらうことになった。
 五日後、きれいにお化粧してもらい、手作りの可愛いお花に顔を埋めてまるで人形のような姿で、八歳と四歳の命は逝ってしまった。
 電気・水道・ガス、何もないとき息子の友達が泊まり込みで応援に来てくれた。傾いた二階から衣類や寝具などを危険も承知で取り出し、オロオロする私たちを元気づけてくださった。今日生活できるのは、その方たちのおかげと感謝している。
 十一日目、やっと電気がつく。息子は、余震も続くので早く解体しなければと、区役所に何度も手続きに行かねばならず、小さくなったお骨にもなかなか参ることもできなかった。
 乾燥した白い埃のなかで、まだ新築してから八カ月しかたっていない桧の柱をユンボが無造作に砕く。孫二人のために建てたはずなのに。
 区画整理の話で集会が始まり大わらわとなった。公園の雨漏りのするテントの下で水を運び、カセットコンロを買い集め、体調を崩しながら必死に立ち上がろうとしているときのことだ。私は耳を疑った。まず生きていくことが先なのでは、と言いたかった。
 入院していた姑の容態が急変し、五月十日帰らぬ人となった。思わず「小さい二人をお願いしますよ」と頼んだ。
 疎開した宝塚南口から、寸断された交通機関を乗り継いで屋敷跡へ通った。更地になった土地には日が照りつけ、白っぽく見えた。雨が降ると水のはけ口がないので池のようになった。
 桜の季節も若葉の頃も心動かすこともなく過ぎ、六月十三日に五カ月ぶりに阪急が全線開通した。西宮北口から岡本駅まで車中で涙が止まらなかった。沿線では青い山をバックに立派な屋根がならび、震災などなかったような風景だった。「なぜ私たちだけ、せめて二人の命だけは」と卑屈になる気持ちを押さえた。
 三人の初盆を迎える頃、一部残った母屋の屋根の修理が進んだ。努力し命さえあれば元に帰ることもできるのにと見上げて無念の涙が出てきた。物置兼住まいのプレハブでは連日の猛暑と虫に悩まされた。
 夏休みに久しぶりに裕の友達が遊びにきてくれた。子供は八カ月の間にこんなに成長するものかと驚く。あの頃孫は二人とも誕生日を一月三十日、二月七日と間近にひかえていた。プレゼントを用意し、楽しみに待っていた娘夫婦の心を思うと胸が痛む。でも乗り越えて何とか前向きに生きていくことが、死んだ二人へのプレゼントかもしれない。
 コスモスがたくましく更地を鮮やかに彩る頃となった。重ねた段ボールの中から冬物と暖房具を下調べする。
 伊豆地方では群発地震が起きている。阪神大震災も何らかの形で少しでも予報があったなら、眠る時にはせめてタンスのないところへ移動していたかもしれない。私たちも注意が足りなかった。
 少しずつ町並みも変わってきた。二人の好きだった三角屋根や洋風の円窓の家、道路も補修され自転車も走れるようになった。公園には子供たちが集まり、またサッカーが始まる。
 「そちらは楽しいところがありますか。早く見付けて皆と遊んでね。短い間だったけど良い思い出をたくさん残してくれてありがとう」空に向かってつぶやく。


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