山鳥

          濱岡きみ子 七十三歳 津名郡一宮町

 兵庫県南部地震の震源地は、淡路島北部の野島断層であった。このため死者約六千人といわれる被災者を出し、一瞬にして地獄のどん底に突き落とされた。地震から約十カ月、私は震源地へ行った。震災直後、牙をむきだしていた断層も行く度毎に風化していくのがよくわかる。断層は今はビニールシートで覆っているが、風雨のために一部がむき出しになっている。鋭く切り立っていた割れ目も角がそげてきている。
 地震直後に見たときは、体が震えた。断層の真上に神社とお寺があった。野島八幡神社も隣接している神泉寺も、ともに全壊した。神社とお寺の境目の道は断層が走り、大きい段差が出来ていて通れない。
 一月十七日、小雨がぱらつき夜も明けきらぬ午前五時半ごろ、神泉寺の奥さんは起きるにはまだ早いとあって横になっていた。
 やがて起きようと中腰になって布団から一歩出かけたとき、ガタガタガタ。
 「うわぁ、どないなったんや。この音わよー」
 立ち上がりかけたまま倒れてしまった。どうして布団の中へもぐりこんだか、わからぬまま布団を掴んでいた。ガタガタガタ、バシッバシッ、バキバキバキ。ひょいと前を見ると襖という襖は敷居から外れ、飛び上がったままでキリキリ舞いをしている。奥さんはまばたきもせず息をのんで見ていた。
 何十枚もある襖が全部飛んでしまい本堂が丸見えになった。本堂は広いがそこまでの部屋の畳という畳が、紙切れのように舞い上がって落ちていく。そのとたんに本堂を支えていた一抱えもあるような太い柱が、ポキンポキン、何十本もの柱がまるできゅうりが折れるように折れてしまった。とたんに奥さんは倒壊した建物の中に生き埋めになってしまった。こう書くと時間が経過しているようだが、これらが一瞬のうちに起きたのだ。
 お寺の棟木や梁は、すべて太いので倒壊しても隙間が出来ていた。その間にはまりこんだのだ。だが、体が丸くなったままで、のばそうにも体の向きを変えようにも木が邪魔になって身動きが出来なかった。動けないと分かると、あれほど高ぶっていた気持ちが妙に落ち着いてきた。奥さん自身びっくりするほど落ち着いてきたそうだ。
 「この大きいお寺がつぶれるくらいの地震だから、下の浜辺にある集落は全滅したであろう。そうすると誰も助けには来てくれない」
 じっと外の気配をうかがっていた。「しーん」と静まり返り物音一つしない。いつもは朝早く山鳥が鳴くが、不思議にも地震の朝は鳴かなかった。山鳥は地震にびっくりして、どこかへ隠れてしまったのであろうか。奥さんは耳を澄ます余裕が出てきていた。突然サイレンが鳴り響いた。
 「あ、今ごろ鳴る時分ではない。誰かが鳴らしたのだ。これは誰か助けにきてくれる」 急に元気が出てきた。思わず「助かるわよ」大声で叫んだ。生きられるという喜びで元気がわいてきた。でもいくら待っても誰も来てくれない。またしゅんとなり不安になってきた。後でわかったのだが人が来ないも道理、お寺までの道筋は倒壊家屋の瓦礫で通れなかったのだ。また生き埋めになった人々が助けを求める叫び声に応えて、消防団の人々は救出活動を行っていた。
 どれくらい時間が過ぎたのか、突然
 「お寺もおばあちゃんもなくなってしもうた。えらいこっちゃ、急いで取り除けないと。おばあちゃんはこの下にいるんや。早う出して上げてくだされ。つぶれているんやもな」。若住職の声は震えていた。その声に、
 「ここに生きてるよう」
 奥さんは力一杯声を張り上げていった。
 「えっ、生きているぞう。早く助けるんだ」
 瓦など取り除いているようだ。中から、
 「ここや、もっと右の方、こっちじゃよ」
 中からコンコンと叩いたり叫んだり……。外の人も必死だが中の奥さんも必死であった。いつ上の物が押しつぶしてくるか分からない。その間も余震が続いていたからだ。いろんな木や竹、そこへ瓦や土、簡単ではなかった。誰かがゴジリゴジリとノコギリで柱を切っているようだ。力一杯せわしげに引いているのか、ハアハア、荒い息が聞こえてくる。外の人も千人力だ。
 あの太い柱がきゅうりを折るように、ポキンポキンと折れたのに、ノコギリではすぐに引くことができない。寒い日なのに汗がしたたり落ちているのが、中にいる奥さんに伝わってくる。
 生き埋めになった初めごろは不安になって、心臓が飛び出すほど動悸がしたり、驚くほど冷徹な落ち着きを見せたりした。僅か数時間なのに生きてきた七十年分心がクルクルと揺れ動いた。そして死を前にして腹を据えると自分のなかに他人が入りこんできたように落ち着いた。死を前にするとこうまで落ち着けるのか、我ながらびっくりしたと述懐なさる。
 ようよう外に出られたときの空気の美味しさは格別であった。助けられた喜び、助け出した人々の喜び。亡くなったと思っていた人が生きていた喜び。汗と涙でくしゃくしゃになった顔を拭こうともせず喜びあった。
 翌日衣類を替えようとしたとき、奥さんの体は紫色の茄子のようになっていた。
 淡路島の被災地を尋ねて私は今も歩き続けている。


[ 目次へ | ホームページへ ]