プレートテクトニクス

          白岩 謙一  六十八歳 会社役員 神戸市垂水区

 あの災害発生の日から早くも九カ月半が過ぎた。私の住む垂水区多聞台地区では、今でも破損住宅の撤去が行われている。五十四坪の被災跡地に三軒、約百十坪の跡地に五軒というミニ開発型の新築工事や局所的な地滑り防止の工事も進められている。多分道路を完全に平坦にするための予備調査の一環と思われるが、不規則に走っている亀裂の跡を辿る白ペンキの線や、地面の隆起や沈下の値を示す数字があちこちに書かれている。
 地震後、水やガスはたちまち止まって、不便極まる生活が始まった。幸い水道局が近くにあり、乗用車で行けたものの、まずは水を入れる容器で一苦労した。ヤカン、魔法びん、ポット、バケツと一本だけあったペットボトルなどをかき集め大型カバンに納めてでかけた。しかし給水車が小型で蛇口が二つしかなかったので、寒い夜空に三、四時間も立たねばならなかった。この水くみ作業は日課となった。
 結局、水道は二月六日、ガスは奇しくも地震から一月目の正午前に通った。僅かに一カ月ではあったが、復旧の見通しのつかない生活にはほとほと疲れ果てた。余震もたびたび起こって不安な日が続いた。
 お互いの安否を尋ねあうにも、呼び出し音はしていながら電話が通じない。家内の姉は結局家屋倒壊で圧死していたこと、その長男の義理の両親は六甲で焼死していたこと、定年まで勤めた会社で二期上の親しい夫婦が東灘区の家屋倒壊で圧死されていたことなど次第に情報が伝わるにつれ、全くやりきれない思いに追い込まれた。交通機関も代替バスを乗り継ぎ、時間がかかった上に相手方も混乱の最中などというビジネス面での辛さを含め「心的外傷後ストレス障害」としての「根気の欠如、イライラ」は六カ月にも及んだ。
 情報ビジネスを業としながら地震について全く無頓着であったことにも、大きな反省が残った。「活断層、ピルツ工法、クラッシュ症候群」など聞き慣れなかった術語につきあたったし、「マグニチュードと震度の区別」も知らずにいた。
 電話回線の回復に伴い、データベースを使って徹底的に調べた。地震予知については電磁波観測法が有効でギリシャが最も進み成功率六〇パーセントにおよんでいるとのこと、日本はまだ手探りの状態にあることや、地震に強いコンクリートが相武生コンと住友商事との共同で開発されたことなど、参考になるあまたの情報をつかんだ。ただし、地震のメカニズム解析については、私が納得できるものはなかった。
 もとより私は地震の専門家ではない。しかし、種々の文献や資料を調べた過程から、地震の根源は喧伝された「活断層」ではなく、日本に微妙に入り組んでいる四つのプレート(北米プレート、ユーラシアプレート、太平洋プレートおよびフィリピンプレート)の相互作用、すなわち「プレートテクトニクス」によるもので、この急激で激しい変動が活断層の地殻のひずみの進行を一挙に助長したものではないかと感じるようになった。この推論は今もって変わっていない。
 日本列島ではいつどこでまたこの種の直下型大地震が起こっても不思議ではない。
 「体験と反省による地震災害対策」をチャートの形で書き添えた。地震予知技術が確立されていない以上、自らが非常時に対処できるようにしておかなければならないし、できるかぎり多くの人に知っていただきたかったからである。


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