シャッターチャンス

          清瀬 悦子 二十九歳 写真家  神戸市垂水区

 前略 今回の阪神大震災の際、救援物資を送ってもらい大変助かりました。ありがとう。家は全壊でしたが、幸い伯父が所有している空きマンションが無事だったので、今はそこで生活しているので安心してください。
 あの日の前夜もフォトジャーナリストである私たち夫婦は、次の取材企画について遅くまでミーティングをしていました。話が一段落した時、お茶を入れ休憩をしていたのだけれど、不思議な事にその時盛り上がっていた話題は地震についてだったのですよ。
 ある占い師が、大地震の到来を予言した事についてです。イタリア人である夫は、一九八〇年に故郷南部を襲った大地震を経験しているせいか、少し気になったのでしょう。本棚に置いてある沢山のカメラやレンズ、仕事道具一式を机の下に移動させました。
 そんな夫を横目に、私は「関西には地震はこないよ」と一笑し、床に就いたのを覚えています。時計の針は夜中の二時を指しており、すでに日付けは一月十七日に変わっていました。そして、その数時間後にあの悪夢の瞬間がやってきたのです。
 これを虫の知らせと世間では言うのでしょうか。家具が倒れ、床には破損した置き物類が足の踏み場もない程散乱している中、昨夜、主人が机の下へ移動させたカメラ一式に傷一つないのを確認した時、ふとそう思いました。
 余震が続いている中、怪我をしている母を病院へやると、私たち夫婦はそのカメラを手にし、現場へと向かったのです。途中、何回も振り返って我が家を見ました。大きく傾いている家は、この余震の中いつまでもつだろうか。今度帰ってきた時には、もうその姿はないかもしれない。いくら仕事といえども、他にしなければならない事、もっと大切な事があるのではないか。つい先程別れ、恐怖で震えていた母の姿が目に焼き付いていました。心を鬼にして私はカメラを握り歩き続けました。
 三宮に近づくにつれ、災害の規模は大きくなり、もはや私の知っている神戸ではありませんでした。自分の街が崩壊していく姿をフィルムにおさめていくのは苦しく、又、ジャーナリストという前に、私自身が一人の被災者として人々の不安、恐怖、怒りを感情的に受け止めてしまい、なかなかシャッターをきれませんでした。
 大勢の人々の災難を撮ることによって商売している様な気がして、大きな罪悪感で心が痛くなったからです。明らかに動揺し、その場に立ちすくんでしまった私を見て、主人と途中から合流したフランスの通信社の方が「これは私たちの仕事なんだ。辛くても現実を直視し、それを人々に伝えなければならないんだ。これが唯一、私たちに出来る事であり、又、私たちにしか出来ない事なんだ」と一喝されました。
 今、私の手元にタイの出版社から送られてきた雑誌があります。その中には葛藤の中で撮り続けた阪神大震災の私の写真が掲載されています。今は冷静になって受け止める事が出来ますが、何とも皮肉な事にあの時の取材が、目標だった私の海外デビューとなりました。
 この道に入って約二年、様々な取材をしてきたけれど、今振り返ってみると、阪神大震災の取材がジャーナリストとしての分岐点だった様な気がします。主題から近すぎず離れすぎず、常にギリギリの境界線に立ち、客観的な立場で真実を伝えていかなければならないのですが、大震災のような状況では人間は平常ではおられず、パニックに陥るのです。実際私もそうであり、もしあのままシャッターをきれずにいたなら、ジャーナリストとしての私は今存在していないかもしれません。
 現在、神戸の街は、崩壊したビルを解体し復旧に歩み出しましたが、仮設住宅や区画整理、震災による精神的疲労など新たな問題も出てきています。災害が起こった直後だけが事件ではなく、その後の事もメディアは人々に伝えていかなければならないと思うのです。でないと、今回の事を教訓として生かす事が出来ず、大惨事という事実だけで終わってしまうような気がします。
 その為には、私たち個人から市や国にいたる行政も、最大限出来る範囲で災害に対する予備知識、準備をしていくべきだと痛感します。せめて家族の集合場所や連絡の仕方、予備食品等を、自然災害に備えて個人個人が話し合っておくべきだし、行政も今回のように渋滞で消防車の到着が遅れる事のないよう、交通機関の設計やネットワークの利用法など考慮すベきでしょう。
 多くの人が「関西には地震が来ない」と思っていたのではないでしょうか。あの日の前夜、警戒する主人を一笑した自分を反省しています。そしてフォトジャーナリストとしても、これからの復旧過程、それと同時に発生する新たな問題を直視していこうと思っています。
 Jもアメリカでマスコミの勉強を頑張ってください。
 カリフォルニアも地震が頻繁に発生すると聞きます。充分注意をしてください。


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