くしゃみ 

          綱 哲男 六十八歳 貿易商・専門学校講師  神戸市西区

 東灘区本山中町にあった我が家は、地震でくの字に曲がり南に十五度傾いた。今にして思えばよくぞ全面倒壊せず持ちこたえてくれたものだ。感謝。
 地震直後は避難所へは入らず、隣の酒屋さんから商品を提供して頂き炊き出しをした。その後、芦屋市高浜町の長女宅に約二十五日、北区鈴蘭台の弟宅に約四十日世話になった。
 そのうち一時使用仮設住宅の受付があり二次募集の時に当選した。場所は西区櫨谷町、市営地下鉄西神中央駅より徒歩二十分の所だ。
 その間、三月十七日に傾いていた自宅は雨と季節外れの春一番で南側へ倒壊した。
 四月六日に仮設に引越したが、その前後は、弟夫婦の車や甥の幹夫君の車で往復、住宅内を掃除し、当座の荷物を数回に分けて運んだ。
 この頃はたとえ仮設住宅であっても、今までどおりの夫婦二人きりの生活にぼつぼつ戻りたかったが、その半面、半信半疑、あまり気の進まぬ引越しでもあった。妻の友人の西村夫妻に車で何回も荷物を運んでもらった。車を持たない私たちにとって、大変有難いことであった。
 仮設住宅は九十七戸で十軒長屋、軽量鉄骨プレハブ造りで屋根は折板(山形)鉄板、外壁の鉄板と合板の間にグラスウール・プラスターボード(不燃材)入りである。天井と間仕切りもグラスウール入り、白合板仕上げだ。基礎は木の杭で土台と床を支えている。災害救助法による二年間の貸与で、全国の業者から約三万戸かき集めたという。この数字は現在の市営住宅の管理戸数より多いと市の担当者が言っていた。間取りは2K、六畳と四畳半と台所、プロパンガスでガス台は一コ、ユニットバス・トイレ付きであるが超コンパクトである。
 ボランティアからの支給品として生協取扱いでホームこたつ、毛布、タオル、炊事用具(鍋、包丁、やかん)、調味料(塩、醤油)、米、食器類二人分。それに日本赤十字社より電気ポット、医薬品一式が用意されていた。生活を送る上で必要最小限の必需品を支給してくれている。家賃は不要、水道光熱費は自己負担。入居についての条件が一冊のしおりにまとめられていた。
 またNTTから電話機が提供され、新しい電話番号も決まった。
 私たちは家具と電気製品のほとんどを失っている。バブル崩壊以後しばしば提唱されていたシンプルライフが期せずして実現することになった。
 仮設に引越してきた被災者は高齢者が多く、市内各区からの寄合所帯である。
 自宅が全壊・全焼した人、怪我で入院中の人、退院直後の人。みんな初めての人々で、心も落着かない、挨拶もぎこちない。女性の一人住まいが多い。また男性の一人住まいは炊事、洗濯と大変そうである。
 戦時中の隣組、向う三軒両隣の歌を思い出す。スープのさめない距離というが、ここではくしゃみの聞こえる距離である。セミプライバシーといえそうだ。風の強い日は家が軋む、雨の強い日はテレビの音声がかき消されてしまう。
 十月三十一日現在まだまともに台風に襲われていないが、もし強烈なのが襲来すればどうなることかと不安を感じる。市は台風に備えて家が倒れないよう、飛ばないように各棟にワイヤーロープを設置してくれた。台風襲来時に各自で地面の鉄輪に取付けることになっている。
 十月十四日の真夜中に震度四の地震があったが、この時は軽量鉄骨平屋建の安心感からか、あまり不安は感じなかった。
 しかし仮設という住居はあるものの一時の住まいであり、住人の気持ちも不安定である。神戸市の再生も、まず市民の住居の確保と生活の安定を計ることが第一と考える。

  活断層 親子三代 気がつかず
  今にして 家を失う 暗さかな
  お彼岸に 弟夫婦と 墓で笑う
  いためつけ いやしてくれる 大自然


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