雀の伝言

          川端 充宗 三十二歳 食文化研究家  神戸市灘区

 我が家の裏庭に、雀がうずくまっていた。どうやら、羽を痛めて動けなくなっているようだ。ビニール袋ごしに掴むと目をぱちくりさせ、逃げようともがく。動物病院に保護してもらうことにした。
 しかし、この出来事で考えさせられることがあった。もし、今日が震災の当日、たとえ当日でなくても、ライフラインの寸断された状況下であったなら、雀は助けられただろうか。
 あの頃、人間が生き延びるのにせい一杯の時に、雀のような野生動物でない、家族同様のペットの犬や猫でさえ、足手まといになり、道に捨てられたり、崩れた家に残されたりしてはいなかったか。また、たとえペットと一緒に逃げようと思っても避難所で他人の迷惑になるからと、泣く泣く首輪を解き、ペットたちが自力で生き延びることを天に祈って放したという話を聞いたことがある。「安楽死」という最も悲しい選択をせねばならなかった飼い主たちもいた。
 震災当日、我が家は万が一に備えて、避難所となっている近くの小学校に身を寄せた。広いと感じた体育館も、夕方にはほぼ満員になった。みんな、自分たちの生活空間を折りたたみ椅子やダンボール箱で囲って確保していた。早い時期に避難した我が家はなんとかスペースを確保できたが、夕方に来た人たちは、わずか一畳ほどの隙間に三、四人が肩を寄せ合い、座るのがやっとだった。
 この時、私達の近くに後からやって来た家族は、猫を二匹連れてきた。黒猫と縦縞の猫。辺りをうろつくこともなく、飼い主のそばにじっとしていた。時々、不安そうに小さな声で鳴く程度で、私は気にならなかった。しかし、周囲の人たちは、うるさいとか、臭いと言い、非常識だと、わざわざ声高に話す人もいた。
 それらの声を聞きながら、私は悲しくなった。普段、人間に潤いや明るさを与えてくれるかけがえのないペットたち。それが、震災時には人間優先の理屈で、どれだけの「人災」を被ったか。家や家族を失い、とてもすぐには癒すことができない傷を心に受けた人たち。避難所も鮨詰めで、プライバシーなどまったくない環境下にイライラする気持ちはわかる。だが、もうこれ以上、失うものもなく、傷つきようもない心で、互いの心を傷つけあうこともないだろう。どうか、人間としての尊厳を、普段のやさしさをとりもどしてほしい。そう心の中で祈らずにはいられなかった。
 私達は翌朝避難所から自宅に戻ったので、その猫がその後どうなったかはわからない。ただ、どうしても気になったので、一週間ほどたってから、猫の餌缶を持って、その小学校の職員室に行った。その後の猫たちの消息を確かめようとしたが、職員からは「わからない」の一言しか聞くことができなかった。
 この震災では五千人を超える人々が亡くなった。最愛の家族を失い、自分だけどうして助かったのかと、自責の念に苦しむ人々はさらに多い。これら語られる悲しみの陰に、家族同様に愛情を注いでいたペットが死んだり、離れ離れになった飼い主たちの悲しみがある。人間の寿命よりはるかに短いペットの死を見取ってこそ、飼い主のペットへの愛情であると、心あたたかい飼い主は信じている。そうありたいと願っている。
 震災から半年が過ぎようとしている。被災地以外では、震災はすでに過去の出来事の一つとして風化が始まっている。しかし、今でも我が家では、時折、畳の隙間の奥に潜り込んでいた震災以来のガラス片が手足に刺さることがある。それはまるで、震災でなくなった人々が「私達のことを忘れないで」と、生き延びた我々に訴えかけているように感じる。もしかすると、我が家にまぎれ込んできた雀は、震災の犠牲となった数知れないペットたちからの伝言の使者なのかもしれない。


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