美談の陰に

          田邊 眞佐子 三十六歳 飲食業  神戸市西区

 震災の悲惨さ、人々の絆やたくましさ、今なお続くそれらの報道に、いささかうんざりしながら私は思う。美談は山ほどあった。私自身、人の温かさ、優しさを実感したことは数知れない。
 しかし、五カ月間の避難所生活とその後の仮設住宅での生活で感じた人間の本質は、私や両親も含め、あまりにもなさけないものだった。地震直後、自らも傷だらけになって、倒壊した家の下敷きになっている人を何人も危険をおかして助け出した勇敢な男性が、救援物資を我先にと奪い取り、危険を恐れただ立ちすくんでいた人が、申し訳なさそうに最後におにぎりを二つもらっていた。人間というのは不思議なものだと思った。
 あの時、ボランティアの人に向かって暴言をはいていた人。ただなら何でももらわないと損という根性で弁当をもらい過ぎ、食べきれずに捨てた人。プライバシーの全くない教室で、不安、不満を振り払うように毎日起こっていたけんかやいさかい。家が壊れなかった人達だって、ガス、水道がストップして大変苦労していたのに、そんな苦労を思いやれず、自分の状態を嘆き日々卑屈になっていった人。
 当たり前の生活が当たり前でなくなったあの日から、当たり前の優しさ、思いやりが、とても難しくなってしまったように思う。
 自分達の都合しか主張せず、被災者面していた人達。行政の人は、地元の人との話し合いがある日はきっと憂うつだっただろう。地元の人達は、絶対相手の言い分に引き下がってはなるものかと身構えていた。行政の人にまくしたてている人。あたりさわりのない返答しかできない職員。
 地震が起こった時、私は兵庫区湊川町の自宅でシャワーを浴びていた。突然の激しい揺れに、何が起こったかわからず、少しおさまってからとりあえずその辺のものを手探りでつかんで体にまとい、ゆがんでしまった台所の扉をこわして表に出た。自分の家と同様、周りの全ての家が無惨だった。
 一人の少年が向かいの家の子供を助け出し、すべての道がガレキでふさがれ車が通れないので、走って病院まで行ったが間に合わず、抱きかかえたまま戻ってきた。子供の母親は泣き叫び、周りの人も皆泣いていた。震災写真集を見ると、いまだに心が痛み、目頭が熱くなる。私達は生き残れたのだと実感する。
 しかしあの時の現実とその後の現実の中で、引きずってはならないことと忘れてはならないことがある。自分達さえよければいいんだという考えでは、決して問題は解決しない。
 そんな当たり前の事を確認しながら、再び生きていきたいと思う。


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