孤独死

          九富 禮子 六十六歳 主婦  神戸市西区

 五月三日、待望の仮設が西区の第七住宅に決まった。市と手続きを済ませ、これが今後住む我が家だ。玄関はドア式。入れば炊事場、奥が風呂、トイレ共通だ。中へ入れば四畳半と六畳の二間、何はともあれ手足を伸ばして寝られる。誰にも気兼ねなく過ごせる満足感を味わう。
 西区でも最大のマンモス仮設で千六十戸あり、端から歩いて幾棟もある住宅は、何か無気味な感じで落ち着かない。その上、家の前はぬかるみで買い物にも出かけられない。長靴を早速調達したが、水抜きの仕事に追われ何も手につかない。市と交渉しても糠に釘だ。思うようにならない。その上、各区から集まった住民も気心がわからず、いらいらはつのるばかりだ。
 そのうちに、五月十日に倒壊した家屋を解体すると市から連絡が入った。五年間も住み慣れた家屋が、目の前でなくなるのは正視できない。昨年に屋根瓦を替え、外壁を直し老後は安心と思っていたのが震災のためとはいえ、根本から覆された。でも必ず再建しなければと、強い決心で仮設生活を送りはじめた。
 六月、西区の婦人会の方々がなぐさめに回って下さり、ぞうきんや手ぬぐいなどを下さった。ストレスが加わって不満が重なると気分も悪く、住民同士互いに話し合う気もなく、とげとげしくなってくる。これでは共倒れになると、近くの農家の方へ散歩がてら出かける。
 幸い、田植えをしている農夫に出会い、苗を分けて頂き、排水用の溝がたまりっぱなしだったので、遊びのつもりで植えてみた。水やり、肥料に主人共々頑張り続けた。お陰で、秋には二十株ほど、お米が出来て、道行く人々も楽しみにしてくれた。
 八月十五日はボランティアの人達が草刈り、暑い最中に頑張ってくれた。
 西区の婦人会、自治会の協力でバーベキュー大会が開かれ、それと相前後して自治会が発足した。
 やはり人々も少し落ち着きを取り戻し、近隣同士がバーベキューでお肉や野菜、おにぎりをほおばりながら、楽しく話し合っているうち、恐ろしい体験をしたという共通点から、だんだんと打ち解けてきた。
 八月二十三日には、西本願寺からこられたボランティアが冷やしそうめんと、かき氷を作って下さった。子供に返ったようで、みんなと赤いミツをかけて頂いた。私達のために汗をかき、手回しの機械でほんとにご苦労でした。
 一番待っていた診療所が、九月に開所した。近くにできたことを喜んでいる人々は心より頼りにし、安心だと言っている。
 でもそんな時期に事故が起きた。九月十三日の夕食後だった。住民の死、それも病死で死後二カ月も過ぎており、部分的にミイラ化していた。関係者にはあまりにもショックが大きかった。ボランティアと一緒に安否を確認してきたのに、残念で仕方がない。もう二度とないようにと思っていたのに、又、仮設での孤独死かと、いとも簡単に新聞やテレビは取り上げる。私達の心の痛み、気持ちを少しは考えて欲しい。
 仮設での生活も半年余り。でもあくまでもここは仮の家、どんなに苦労しても絶対に元の所に帰りたい一心で、頑張るつもりでいる。


[ 目次へ | ホームページへ ]