人生の標識

      サイ 貴生 二十八歳 大学院留学生  神戸市北区(中国)

 地震の時、私は神戸地区中国留学生聯誼会(創立十五年、会員約七百五十名)の会長だった。「これほどの災害に見舞われたにもかかわらず傍観しているとは何事だ」と言われてはいけないので、何かをしなければならないと思った。しかし、何を、どこで、どうしたらいいか全く見当がつかなかった。そこへ兵庫県日中友好協会の副理事長の本田政春先生から電話が入り、もし留学生聯誼会が救援活動を行うなら協会の事務所を活動の基地として使ってもよいとおっしゃった。
 日本の友人が一番難しい問題を解決してくれたのだから、我々聯誼会は早速動き出さないといけないと思い、副会長の劉雨珍氏(神戸大学文学部博士課程)と相談し対策を考えた。交通機能がマヒし、余震のうわさも不安を募らせている。本田先生、劉雨珍と私は日中友好協会での不眠の三日間を経て救援基本策を制定し、また活動できる聯誼会の幹部も見つけた。
 すべての道路は渋滞していたので、オートバイを持っている学生に助けてもらった。まず救援活動のスタートを切ってくれたのは、王立彬さんと金曄さん二人の留学生だった。金曄さんがオートバイで避難所を回り第一回目のビラを配布してくれた時、私は大変感激した。
 KCC商会の姫野社長は私たちのことを知り、日中友好協会を通じて飲料水、インスタント食品と自転車五台を送ってくださった。後で分かったが、当時姫野社長ご自身も避難生活を強いられていた。さらに忘れられないのは、体のご不自由な高齢の母親が自宅におられるのにもかかわらず、本田先生が毎日我々と一緒に奔走してくださったことである。今になっても、申し訳なく思う気持ちでいっぱいである。
 連絡センターの初期の目的は、いろんなルートで避難所の情報をキャッチし、避難学生を慰問し、けがをした同胞を見舞い、死亡者の家族や友人の接待をし、できるだけ多くの情報を提供することだった。
 二月の末、我々は義援金と救援物資の募集を始め、被害を受けた学生のためにできるだけ多くの援助をしようという新しい目標を立てた。新聞やテレビなどで連絡センターが紹介されたので、応援の電話が殺到し、多くの組織と個人から被災留学生に臨時の住まいを提供するという申し出をいただいた。これはまさに「雪中に炭を送る」ありがたいニュースで、私たちは住居を失った中国人留学生にすぐ連絡し、仲介役を果たした。臨時の宿舎だったが、留学生はすごく感激した。
 日中友好協会の事務所は中央区の元町にあり、かなり長い間、水とガスの供給がなかったので、私たちの食べ物はほとんどインスタント食品と缶詰だった。我々の救援活動の環境を少しでも改善しようと、KDDなど多くの組織が多大な援助をしてくださり、日中友好協会事務所の方々もほとんど毎日いろいろな仕事を手伝ってくださった。私は一度も孤独を感じたことがなかった。私は家内と毎日一緒に仕事をした。回りに親切な方がいっぱいおられ、「頑張って」とか「どうも」といったごく簡単な一言が、いつも私たちの心を暖かくし、しばらく深い感慨に浸ったものだ。
 自転車で避難所を回ったのはだいたい昼間だったので、交通は渋滞していたが、気をつけて走れば危険はなかった。しかしある夜、車で長田区へ行った時は危なかった。雨が降っており、周囲は気持ち悪いくらい静かだった。すごく傾いている二階建ての建物の前を通り掛かったので、急いで走り去った。五秒もたたないうちに、後ろから木材が壊れる音の混じった轟音が聞こえた。さっきの建物が倒れていた。生き肝を抜かれたような感じを生まれて初めて体験した。言葉では言い表せないものだった。心臓が激しく動悸し、車を止めてしばらく休まなければならなかった。
 追悼会には二回参加した。一回目は在大阪中国領事館主催で大阪府の吹田市で行われ、もう一回は神戸大学で行われた。よく知っている人の写真を見ると泣き出したくなった。この前まで一緒に酒を飲んだり、冗談を言ったりした友人なのに、今日は別の世界の人となった。人間の生と死は本当に紙一重だ。彼らはこの世の過客として急ぎ足で、どこへ、そして何を求めて去って行ったのだろう。
 最後に、私は日本の友人の一人、由良弥生さんのことをぜひ紹介したい。中国留学生連絡センターが発足して間もなく、由良さんはボランティアを申し出た。初めは自転車で西宮、宝塚、芦屋などの避難所を回る仕事をしてくれた。三宮では、負傷留学生の調査や義捐金の管理をしてくれた。由良さんの仕事ぶりを見て、私たちはみんな感心し反省もした。私たちのだれもが怠けた時があったが、由良さんはいつも疲れを知らないかのように、どんな仕事でも細かいところまで気を配り、まじめに行った。報酬やほめ言葉など全く考えていなかった。それに比べて一部の留学生は、自分が人のために何ができるかを考えるのではなく、逆に外の人からの援助が遅いと文句を言ったり、あるいはちょっとした貢献に対して名誉や報酬を要求したりした。我々留学生は反省すべきことがたくさんある。
 私は今までずっと人生の意義を追い求めてきた。貧しい家に生まれたので、飢えと寒さと当てにならない世情と抗争してきた。受験勉強では、将来の運命と山ほどの問題集と夜通しで戦った。大学入学後は、精神と学術の聖賢に挑戦した。日本に来た後は、異文化と直面したが、惑わされず全力を尽くそうと頑張ってきた。それらのすべてが、私にとって充実した人生の意義だった。しかし、阪神大震災は今までの私の人生の何よりも深く考えさせ、成長させてくれた事件だった。私の人生に、鮮やかな標識を立ち上げてくれた。
 私は神戸が大好きだ。ここの土地とここの人々が私を養成し、人生の意義を教えてくれ、生涯追求し続ける夢も与えてくれた。不滅の神戸よ。


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