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          鄭 翰新 二十七歳 大学生 堺市(韓国)

 地震のあと知り合いに会うと、いつも彼らは「大変でしたね。どうでしたか?」と私に質問をします。その時、私は笑いながら「遊園地のジェットコースターにただで乗りました。家がジェットコースターになったせいで、全壊しました」。そして、「私の日本での生活は一年位なのに、昨年の夏は三十年ぶりの猛暑、今年は六十年ぶりの地震、まるで六十年間日本で生活したような経験をしました」と答えます。
 最近の日本では、オウム真理教の話題が一番大きく報じられています。地震が起こってから九カ月経ちました。もう、あのとき報道された悲惨な光景は忘れ去られていることでしょう。あの地震にあった人達一人一人は、今はどうしているのでしょうか?
 一九九五年一月十七日午前五時四十六分、西宮の私のアパート。
 体は宙に浮いた気がして目が覚めました。夢かと思ってまた寝ようとした途端、体が部屋の中を転がっていました。立とうとしましたが体が自由に動きません。転びながらやっとの思いで玄関のドアのノブを掴みました。どの位の時間だったのか……、私は恐怖でふるえていました。
 韓国では地震を経験したことがありませんでした。「神様が怒り狂い、地球の終末が来る」という昔話を思い出し、その瞬間が来たと思いました。いつの間にか嘘のように揺れがおさまって周囲が真っ暗になりました。隣の部屋からの「助けて!」という声に、私は体をぶつけてドアを開けました。人々の叫び声で初めて地震だと知りました。
 独り暮らしの隣のおばさんが、「母の様子を見てくる!」と叫んで飛び出しました。私もそのあとを追いかけました。町のあちこちで火の手が上がっていました。お母さんの二階建てのアパートがなんと平家になっていました。
 一階に住んでいたお母さんの声が聞こえたので、近くにいた人々と救出作業を始めました。そして、二時間後にやっとお母さんは助け出されました。ホッとしました。そのあと、見も知らぬ人達とまるで何年も前からの知り合いのように親しく話をしている自分に気がつきました。
 暗くガランとしたアパートで余震はやまず、恐怖がどんどん膨らんでいきました。もう、我慢ができなくなりました。私は、阪神電車の線路沿いに、高い建物の側を避けながら歩き続けて、大阪の友人の家にやっとたどり着きました。
 それから何日かのち、私は友達と一緒に全壊した西宮のアパートへ荷物を取り出しに行きました。疲れ切った表情で荷物を背負って歩いている人々、建物が壊れた悲惨な町の姿……。まるで映画のシーンを見ているようでした。日本での第一歩をここに印して、一年間暮らしてきた部屋、住み慣れた故郷のように感じる西宮……。色々なことが走馬灯のように思い出されてきます。
 アパートを出ようとした時、偶然にも隣のおばさんと出会いました。あの後起こった色々なできごとについて話をしました。まるで久しぶりに出会った友達同士のように……。
 「助け出された母は四日後に亡くなった。死を目の前にして地震が怖い、揺れていると言いながら……」
 別れの挨拶のとき、おばさんは、
 「ほんまにありがとう、えらいすんませんでした。からだに気いつけて」と言ってくれました。大阪へ帰る途中の電車の中、おばさんのさっきの表情を思い出し、なんともいえない温かい感情が伝わってきて、私は最高に幸せな気分に包まれていました。
 韓国で勉強したときの本に書いてあった経済大国日本、西宮で暮らした一年間の日本、そして今、大地震に見舞われた日本、そのそれぞれに日本を感じました。
 大きな声に振り向いてみると、学生らしい二人と五十歳位のおじさんが話をしていました。二人の若者は神戸で地震にあったようで、おじさんは大阪から被災地へ復興作業に行った帰りのようでした。おじさんは、地震評論家のような口ぶりで話をしていました。電車が大阪へ着くころに、それまであまり話さなかった若者の一人がポツリと言いました。
 「おじさん、体験した者でないと、あの地震の恐ろしさはわからないよ」。おじさんは黙ってしまいました。
 韓国でテレビを見た両親が私に電話で言いました。
 「すべての家が壊れて日本には住む所がなくなってしまったのに、ずっと地震が続いてあぶないのに、どうしていつまでも日本にいるの? 早く韓国に帰りなさい!」。いくら「大丈夫だよ」と繰り返しても両親は信じてくれませんでした。
 テレビはどのチャンネルも同じ画面を繰り返し映しています。まるで、日本中が被災地のような錯覚に陥ります。テレビというものの「恐ろしさ」を感じました。その半面、テレビを見ていると、地震の怖さ、辛さ、痛さがリアルに感じられます。そのリアルな画面にテレビの「素晴らしさ」を感じました。救援物資や義援金が被災者に全国から届けられました。今まで忘れ去られていた昔の人間の温かさが蘇ってきました。このことにもテレビが大きな役割を果たしたと思います。
 私は今、大阪芸術大学放送学科で日本の放送について学んでいます。この地震を通して改めて放送の素晴らしさと恐ろしさを実感しました。そして、未来の放送を支える者の一人として、今重い重い責任を感じています。私は今度の地震のことを一生忘れないでしょう。そして私は、この貴重な体験を私の今後の人生に生かしていきたいと思います。


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