ファイト

          原 文吾 五十一歳 会社員 明石市大久保

 今回の大震災で五千五百人以上の尊い命が失われたことや、全てを無くされた被災者の方々のことを思うと胸の痛くなる思いがします。人間が造った建造物などは、地震という自然の脅威にもろくも崩れ去りました。しかし、生き残った人々は復旧・復興に頑張らなければなりません。
 自宅マンション(二十一階建)は、震源地の淡路島に非常に近く、我が家のある十四階から目の前に淡路島が見えます。このマンションが倒壊するかと思える程の非常に強烈な縦揺れと横揺れが約二十秒間続き、生きた心地がしませんでした。幸い倒壊は免れたのですが、一部が損壊しました。具体的には、外壁に大きく深く×印の亀裂が入り、内壁も所々に亀裂ができました。また、家財ではタンス等が倒れ、特に割れ物が相当でました。
 電気は直ぐに復旧したのですが、ガスと水道が約十日間止まり、日頃何げなく使用しているライフラインの大切さを痛感しました。水道が止まっている間、飲み水やトイレ等の水の確保に大変でした。エレベータが止まってしまった数日間は、十四階まで水を何回も運び、肉体的にも大変でした。
 震災後数日間は電話が不通で、会社や上司宅と連絡がとれませんでした。また西明石と大阪間の交通も遮断され、通勤に何時間もかかり、大変不便な体験をしました。特に代替バスをいくつか乗り継いで通勤した期間は、大変でした。JR須磨駅から三宮駅まで、瓦礫の中を何時間もかけ歩いて通勤したこともありました。少々の苦労は神戸の方々の事を思えば、どんなことでも我慢できると頑張りました。
 特に被害の大きかった神戸の人々のファイトに、逆に自分も頑張らねばと励まされる事が多々ありました。今回の大地震で幸いに命は奪われなかったのですから、今自分にできる事を直ちにしたいと考え、大学進学を決意し、大阪市立大学商学部第二部に入学しました。二部だと仕事をしながら勉学でき、商学部で学ぶことにより営業センスを養うことができ、今の仕事にも生かせると考えたからです。専門の電気以外の文系の学問を勉強することにより、今の自分に足りないものを沢山吸収し、幅の広い人間に成長したいと考えています。
 今回の大地震に挫けることなく、「人生、全て前向きに!」をモットーとパーソナル・アイデンティティとして、自己革新運動を進めようと決意しています。そして、自己の力を十二分に発揮して、特に神戸の復旧と復興に微力ながら貢献したいと思っています。


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