お弁当

          青木 加代子 四十八歳 飲食店経営  大阪市

 見上げれば、新御堂筋線、前は新大阪森ビル。この路上でテーブルとパラソルを広げ、主人と二人でお弁当とカレーを売り始めて早五カ月近くになろうとしております。
 あの阪神淡路大震災により、自宅も持ち帰り弁当の販売と宅配をしていた店舗も全壊しました。地震当日は避難所がいっぱいだったため、妹夫婦のいる新大阪で生活を始めました。第一次から仮設住宅の申し込みをしていましたが、最後の抽選は弱者優先のため申し込めませんでした。西宮市は第一次からすべて弱者優先にすべきだったのではないでしょうか。弱者の方がすべて入られてから一般の方々の抽選を行えば公正が保たれたのではと思います。
 自宅の解体から仮設住宅の抽選に至るさまざまなことについて、市に対する不信感が募るばかりです。一月中は自宅の物を取り出し、大阪まで運ぶ毎日でした。あの渋滞の中を一日三往復した時もあれば、片道に四時間かかった時もありました。解体するに当たり、中の物は早く出しておいて下さいと言われましたが、結局、解体は五月末まで待たされました。何度市役所に行ったことか。家が傾き危険なので、当初は荷物を急いで取り出し、外へ早く出ようとしておりましたが、慣れるに従い大胆になり、タンス等大きい物はボランティアの方々のお陰でほとんど大阪へ運ぶことができました。ボランティアの方々には感謝に絶えません。
 店舗は二つの信号機で七軒が支えられているという危険な状態のため、数日後に市の道路補修課が解体にやってきました。二階の物は取り出せず、下の物を一部を除いてかろうじて取り出すことができました。取り出せた物はビニールシートで覆って、六月下旬まで広田神社の参道に置いていました。
 なんとか早く店を再開したく、仮設店舗等色々考えましたが、用地もなくあせる毎日を過ごしておりました。店舗のあった土地は五百坪近く、大家さんは大きなビルを建てるつもりであろうと思われるのですが、店子には大家さんの意向が伝わってこず、不安と苛立ちで何もする気力は湧いて来ませんでした。地震前から建て替えの話もちらほらささやかれていました。
 調停の場での話し合いになりましたが、話し合いがなされないまま裁判になりました。これで、元の場所での営業再開か否かがはっきりすることと思います。
 収入の目処が立たないことから、新大阪周辺ではオフィス街でお弁当を売っている方がいるのだから、西宮での商売再開ができるまでお弁当をマンションで作って売ったらとハッパをかけられました。三月中旬より三十個近いお弁当とガスコンロ、カレー、スープを車に積んで売りに行きました。
 最初はどこで売ればいいのかわからず、恥ずかしいのと寒いのとで泣きたい気持ちでした。あまり目立たない所で、それでいて人通りの多い所を選んだつもりでも、売れずにたくさん残りました。又、違う場所へ移動して売ったのですが、そこでは持っていった分はある程度売れたのですが、近所の店から交番所に通報があり、警察官が来て、すぐに片づけなさいと言われました。何ともみじめな気持ちになり、このころはよく主人と口喧嘩をしました。二人でアルバイトをした方が気が楽なのにと、主人を責めたりもしました。主人はサラリーマン生活が性に合わず、商売を始めて十四年目にこの地震でした。一瞬にしてすべてがなくなりました。
 適当な売り場所を見つけるため、主人は夕方まで新大阪周辺を歩きました。そして見つけたのが今のこの場所です。当初はあまり売れませんでしたが、最近はお弁当もカレーも並んで買ってくださいます。
 お客さんはサラリーマンやOLの方達です。皆とてもやさしくいい方ばかりです。このビルに商品を搬入する車の運転手の方は、私達の車が入り易いように、さりげなく自分の車をとめてくださったり、ビルの掃除のおじさんたちや駐車場の人達も声をかけてくださったりします。あったかい人ばかり。大阪の人って心のあたたかい人が多いなあと思う毎日です。
 雨の日は下着までずぶぬれになり、風の強い日はパックやパラソルがとびそうになったり、違法駐車取り締まりの時は、おまわりさんにこんな路上で売ってはだめだと言われますが、それでも毎日売りに行っています。今年の夏は、炎天下でよく日焼けしました。
 新御堂筋線を見上げながら、新大阪の路上でお弁当を売るとは夢にも思ってもみなかったなあとつぶやきながら、今も売っています。
 が、やっと西宮で仮店舗が見つかり、八月中旬頃には営業できる予定です。でもこの店舗も全壊の建物で、二年後には取り壊しが決まっています。しかし少しずつでも前に進んでいかなくてはなりません。家賃を払い大阪から通って商売が成り立つかどうかはわかりませんが、商売を始めたあの十四年前の頃の気持ち、それ以上の気持ちで頑張らねばと思っています。
 中学三年の子供も往復三時間かけて学校に通っています。クラブ活動のある日は、帰宅時刻が八時を過ぎます。子供は子供なりに一生懸命頑張っています。早く西宮に帰りたいと考えています。解体した自宅も八月の終わりぐらいから建築にかかってもらえそうです。今年中はだめでしょうが、来年二月頃には西宮で住めるかと思います。
 一瞬で失ったものは大きかったけれど、人の痛みがわかるようになったこと、そして妹達のありがたさが身にしみてわかったこと、その他にも得たものが数多くあります。
 それらを大事に、西宮での仮店舗ができるまで、新御堂筋線を見上げながら頑張ります。


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