生き返ったおばあちゃん

          沖 由美子 二十五歳 主婦  神戸市垂水区

 九五年の正月に、義父が脳梗塞で倒れて入院した。その日からは、家政婦さんと一日交替で、病院に寝泊りすることになった。
 十六日の夕方に家政婦さんと交替し、家に帰ってそのままの格好で炬燵に横たわりウトウトしていた。数時間たった時、カクンとけつまずくような感覚がした。足元の段差に気付かずに、けつまずくような感じである。「もしかしたら大きな地震の前触れかも」と思ったが、まさか関西、神戸で地震があるとは思いもよらなかったので、そのまま私は寝てしまった。
 しかし、次に目が醒めたのは、まさしく大きな地震だったのである。東京育ちのため、ある程度の地震は経験していたが、あれほど大きな地震は初めてだった。気が付いた時にはすでにガス、電気、水道、電話と生活に欠かせない全てが断たれてしまっていた。
 義父の入院する病院が気に掛かったが、地震発生時はまだ明け方だったので、陽が昇るのを待って病院に向かった。病院はケガ人でごった返したようである。床には血のたれ落ちた後があった。しかし私が着いた時には、すでにケガ人の手当てをした後だったので、思ったより混雑はしていなかった。そして会計を待っている数人のケガ人を見て、「私はケガ一つしなくてよかった」と思いながら義父の病室に向かった。
 病室のある階は、診察室のある階よりも雑然としていた。地震後あわてて駆けつけたと思われる看護婦さんが、着替える間もなく私服で仕事をしている。私は「これがプロなんだ」とつくづく思った。
 病室に入ると、疲れ切った顔をした家政婦さんが、隣のベッドの付き添いの家族の方と興奮状態で話をしていた。地震発生時、あわてて病人に毛布を掛け、身体をはって守ったが、義父と義父の隣のベッドの方は大きないびきをかいていたそうだ。しかも「いい大根を買ってきなさい」との寝言だったのである。さすがにその時は付き添いの二人も、あっけにとられてしまったとのことだった。
 そして、さらに興奮したまま話し出した。「隣の病室のおばあちゃん。生き返った」と。よくよく話を聞いてみると、こんな事があったようだ。
 義父の病室の向かいは女性用の相部屋で、入り口に近いところで寝ていたおばあちゃんが、十六日の夜、危篤に陥った。すでに呼吸困難で、脈拍を計る機械が入った。看護婦さんは担当の先生から、家族に連絡するようにと指示を受けていた。
 家族はパジャマ姿のままサンダルで駆けつけ、「おばあちゃん。おばあちゃん」と泣きながら呼んでいた。とその時、地震が起こったのである。ガーッと揺れたと思ったら、ピクンとおばあちゃんが動き、脈拍数や心拍数が正常な数値を示したのである。まさしくおばあちゃんは生き返ったのである。「本当に珍しい事があるもんやわ」と、誰もが不思議がっていた。
 その後、地震で病院の給水タンクが壊れたため、飲み水どころかトイレの水にも困り、付き添いをする私達でさえも紙おむつで用を足すことになった。水が使えないため、病院食もとても粗末なもので、食べることが趣味と化していた義父は、ひたすら文句を言い続けていた。
 そして、地震で肺炎になった人などが次々に運び込まれたが、危篤から地震で生き返ったおばあちゃんは、見る見るうちに元気になり、あっという間に退院した。
 今回の阪神大震災では、五千人以上の死傷者が出たのにもかかわらず、このおばあちゃんのように生き返った方もいる。この世の中には不思議な出来事があるものだ。
 大震災の私の思い出の中には、元気にピンピンとして退院していく、おばあちゃんの後ろ姿が残りそうだ。


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