失われた右手

          近田 育美 二十七歳 会社員 神戸市垂水区

 私の従兄弟は、右手を失いました。一般的に言われる労働災害事故です。労働災害事故のことを、なぜ、阪神大震災の体験記に記すのかと言われそうですが、私はこの労働災害事故が、地震が起こっていなければ、なかったと思うからです。
 大地震により、多くの家屋、会社、ビル、工場が壊れ、多くの人々の命が失われました。たしかに、このことは一番、大きな悲しみです。しかし、半年以上過ぎた今、少しずつ落ち着きを取り戻しつつあります。もちろん、以前の生活とは変わってしまいましたが……。
 従兄弟は、阪神大震災により同業者の建物が多数、営業不能な状態となり、大変忙しい日々を過ごすことになりました。毎晩の残業に加えて、土曜日、日曜日の出勤。このような状態が、今年の二月頃から、ずっと続いていたそうです。
 私の目から見ても、人一倍、責任感が強く、真面目な従兄弟は、文句も言わず、このような日々を半年以上も続けていたそうです。震災前であれば、このような苛酷な労働条件はありえないだろうし、世間も許してはいないと思います。しかし、神戸の街を復旧させるためには、お互いの努力と助け合いが必要です。壊れた工場の製造分が、他の工場へ廻ったり、壊れた営業所が他の場所へ移転する等の今までにはなかったしわ寄せがあるのです。
 従兄弟は、半年以上にわたる毎日の疲労がピークに達したとき、右手を機械に巻き込まれてしまいました。やはり、疲労のため、動作が緩慢になってしまったらしいのです。人間には、「自分だけは、大丈夫だろう」という自己過信があります。もちろん従兄弟にも、その過信がありました。しかし、事故が起こってからでは、事故を悔やんでも遅いのです。
 利き腕である右手を失ってしまった従兄弟は、今はまだ病院で入院生活を送っていますが、本当の苦労は、退院してから後の社会へ復帰してからだと思います。利き腕を右から左へ変えなければなりません。文字も左手で書かなければならないし、何をするのも左手だけでしなければなりません。
 私は、自分自身のことではありませんが、従兄弟が右手を失ったことを聞いたとき、血がすーっと引いていくのが自分でもわかりました。次の瞬間、従兄弟のこれから先のことを考えると、自分のことのように、気分が落ち込んでいきました。二、三日間、寝つきが悪くなってしまいました。
 「どうしてこんなことに……」と思いながら数日間を過ごしていたのですが、従兄弟の仕事のことを聞いて、これも阪神大震災の影響だと思えてきたのです。あの一月十七日の地震さえなければ、従兄弟は、苛酷な仕事を強いられることもなく、責任から出勤することもなかったでしょう。あの震災さえなければ、疲労からくる動作の緩慢も起こらなかったでしょう。この従兄弟の事故を、ただの労働災害事故として片付けたくないのです。
 阪神大震災により、ニュースにならない被害が多数あると思います。多くの人々が、今もなお、目には見えない危険にさらされているような気もします。私の思い過ごしかも知れませんが、多くの人々は、疲労しています。少しずつ以前の生活に戻るでしょうが、私は絶対に阪神大震災を忘れないようにしたいのです。
 従兄弟のように二次災害に遭われる人々がいないように祈ると共に、これから従兄弟のリハビリに少しでも役立ちたいと思います。また従兄弟だけでなく、困っている人々の力に、少しでもお手伝いができるように、自分自身を今よりも強く、人間性を向上させていこうと考えています。
 今のままでは、まだまだ道のりは遠いですが、まずは、従兄弟のこれからのことを一緒に考え、手伝い、心の傷を少しでも軽くできるように頑張っていこうと考えています。


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