透析手帳


          今井 俊作 三十九歳 団体職員  神戸市兵庫区

 『阪神大震災 被災した私たちの記録』で震災時の透析治療体験を取り上げていただいた後、私は透析患者団体の兵庫県腎友会からの依頼で災害対策プロジェクトのメンバーの一員に選ばれました。兵庫県腎友会には全国の方々から義援金や支援の声を賜わりました。被災者となった私たちの体験を役立てていただこうという活動の一環として、私は透析患者向けに被災時のマニュアル作りを分担することとなりました。
 私自身、震災時に治療できる施設を見つけることと、その施設までの交通手段、治療の継続に苦労し、いかに普段から何の備えも無かったかということを反省しました。震災時といった緊急事態には透析患者の治療の順位が後回しにされるということも初めて知りました。
 透析患者は、治療が遅れても即死しないということから、緊急時の治療優先順位が低く、遠方の施設で治療を受けようとしても病院車や救急車の出動の応援を得られない人がありました。また、施設との連絡が取れず、マスコミなどに情報を求めても情報が混乱しました。各施設の患者を調節しながら紹介するセンター施設だけでなく、個別の受け入れ施設が報道されたため、そこへ患者が殺到したケースや、反対に他府県で受け入れ準備をしてくれているのに、移送する方法がなく、誰も行かずせっかくの好意を無駄にしたケースもありました。
 テレビやラジオは延々と安否情報を流していましたが、電話が通じない状況のもとで、具体的な連絡手段や各施設の復旧状況についての情報はほとんど伝えられませんでした。そのため、自宅で病院からの連絡を待ち続け、普通は長くても三日から四日という治療間隔が限度であるにもかかわらず、七日間も治療が受けられなかった人があったり、苦労して受け入れ施設にたどり着きながら、治療のためのカルテや保険証などがないため、門前払いされた人もありました。
 そうして、治療の間隔があくほどに水分の摂取を控えて、体重増加に気を付けても、スーパーや生協店舗で食品が買えず、避難所で濃い味付けの弁当ばかりを食べたため、高血圧や糖尿病といった合併症を悪化させる人も相次ぎました。治療の都度遠距離を往復した上、治療者数が多く治療時間が短縮されたため、治療回数が震災前より増えたり、体調を悪化させる人が続出しました。
 住宅が全・半壊しても、近くの仮設住宅に当選すれば元の施設での治療を受けることができますが、他府県へ疎開した人々の中には被災者で一杯の病室が空くまで入院できないため、戻って来られない人もまだまだ大勢います。疎開先の他施設での入院生活や慣れない仮設住宅での孤独な生活は、老人や目の不自由な透析患者に、日を追うにつれて精神的な負担感を高めてきています。
 とりわけ、重症の要介護者の通院には、元気な家族の手が必要なのに、今回の震災では被災した家族に代わる介護者の不在や施設への移送手段がなかったこと、又、他施設でのトラブルも発生しました。たとえば、飲み薬が目の不自由な人にはわからなくなってしまっていたり、入院中の相部屋の人達との人間関係の悪化など、介護ボランティアの不在が痛感されました。
 このような数々の反省を含めた体験をいかに今後の災害発生時に反映させるか、それが大きな課題です。まず第一に透析施設同士のネットワークを早急に確立しなければなりません。受入施設と普段治療を受けている施設とで日頃からデータ交換できる仕組みを作るのです。
 そのためには、兵庫県内各地の中心的な施設にセンターとなってもらい、そこに連絡すれば、通院している施設が治療不能でも他の施設を紹介してもらえるようにします。できれば、このようなシステムを近畿一円、全国へと広げていければと思います。
 また私達自身、これまでの病院やスタッフ任せの受動的な姿勢から、基本に返って自分の飲み薬に始まり、透析治療に必要な最低限の検査データやその他の知識の学習を行うことや、日頃から災害時に備えて食糧や水の備蓄をしたり、親類や知人の近くにある透析施設を調べておいたり、患者同士でマイカーを都合しあったり、重症患者の搬送には特別に救急車やヘリコプターの出動を求めるといった努力が必要です。私は今、兵庫県腎友会が作成中の「透析手帳」に書き加えるマニュアル作りに、微力ながら奮闘しています。


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