ちぎれた絵

          匿 名  三十一歳 無職 西宮市(朝鮮)

 一月十八日。六年間の思い出の残る神戸を後にし西宮へ移った。その後も何度か神戸の町を訪れたが、生々しい傷跡は私の心の痛みをも一緒に背負ってくれているようで、涙なくして目にすることはできない。
 夢から覚めぼんやりした思考の中に、驚愕が飛び込んできた。一月十七日、午前五時四十六分だった。恐怖の感情が全てであったように思う。とっさにできたのは泣き叫ぶわが子に覆い被さることだけだった。
 パジャマ姿のまま外に出た時には、家々は崩れ、道はふさがっていた。トラックが横転し、それをよけるように車が徐行していた。信号の消えた横断歩道を行き交う人々。埋もれた家から助けを呼ぶ声。北の空は真っ赤な炎と黒煙に包まれていた。しかし消防車のサイレンも聞こえない静寂。
 とどまることのない余震と火事と、報道から遮断された怯え。幼いわが子に与える飲み物や食べ物がない焦燥感。このパニックの時に出ていった夫と、その身内の私に対する態度。砕かれた神経は完全に麻痺状態に陥っていった。
 あの震災で死ねば良かったと、何度思ったかわからない。死にたい、死にたいと思いながらも死ねなかったのは、三歳と一歳の我が子のあどけない笑顔のおかげだった。この子たちのたった一人しかいない母親の命を、自ら奪うことはできないと気付かせてくれた。今の私には「生きていくこと」が何より一番大きな課題となってしまったが、二人の子供のためであれば、どんなことでもしようという勇気が、少しではあるが時間を経てみなぎり始めている。
 夫に見捨てられ避難する途中、二人の幼子を抱え右往左往している私に、自分たち家族の分までも飲み物、食べ物を分けてくれた人たちがいた。前日からの飢えに苦しむわが子に、名も知らぬ善意の人から受けた白飯は忘れられぬ記憶である。
 公園で火を燃やし、炊けたばかりの白いご飯を味付けのりでつまむようにしてかわるがわる口の中に入れてやる。昨日から洗えずにいる薄汚れた満面に笑みが走る。ほかほかのご飯の湯気に鼻をズルズルさせながら、おいしい、おいしいと食べていた子供たちの顔を、今でもすぐに思い起こすことができる。
 確かに震災の後遺症は心までも蝕み、私は人間不信に苦しみ闘っている情けない有様だ。それを隠すように明るくふるまい、饒舌になっている自分にも嫌気がさしている。けれども自分自身をはぐらかすことで時間を稼ぎ、傷を癒していくしかないと思っている。その一方で、同じ傷を持つ人の前では裸の自分をありのままさらけだし、傷口の手当てを怠らないようにしている。
 体は小さな振動や物音にも鋭敏で、しかもストレスには大仰に反応する。以前は風邪をひいたら内科へ行くのが常識であったが、心のケアを受けることで軽症ですませる術を知った。震災のおかげだと内心苦笑している。
 神戸に裏切られたような思いはいつになったら消えるのだろう。辛すぎて神戸に赴くのは必要最小限にしているけれど、そのうち愛しい神戸に何のわだかまりもなく抱かれる日が来ることを願っている。
 身近な人に冷たくされた淋しさと悔しさは筆舌に尽くせぬものがあるが、見知らぬ人に受けた好意があったからこそ、もう一度信じることから始めてみたい気にもなれ、子供たちを一心に愛する自分がいるのだろう。
 そして、いつかは優しい自分に戻りたい。人の弱さや醜さや狡猾さにも大らかな気持ちで接せられるようになりたい。あの時、やっぱり私と同じように、夫も恐怖心ととっさの異常事態にうろたえただけなんだと、許せる日が訪れると信じて。

 壊されて 傷つけられて 裏切られて かさかさに渇いた 街々に 陽光がさし
 ちぎれた絵が はり合わさっていくように 私も 元気になりたい。


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